マジョリティの孤独

またブログの更新をサボっていました。

ブログの更新をサボり、文章もろくに書かずに何をしていたのかというと、ゲームをしていました。

人々が5に夢中になっている最中、化石のようだったPS2を引っ張り出して来てペルソナ4をやっているのです。そして、今更ながらにどハマりしているのです……。

まあその辺のことはついったにちょいちょい書いているので割愛します。花村くんめっちゃ好きですやばい。

 

現代に生きていて「多数派であるが故に肩身が狭い」と感じることはありませんか?

わたしが知る範囲では、巨人ファンの人や、レッズサポの人に、たまにそういう風な生きにくさ(というほど大仰なものでないとしても)を感じている人がいるみたいだ。

もちろん、胸を張って好きで何が悪い!と言える人も大勢いるのだろうけど。なんとなく「実は、自分巨人ファンでして……すみません」という気持ちになってしまう、という人は、何気に結構いるような気がする。

(あくまで個人的な交友の範囲のことなので、あまり機嫌を損ねずに聞いていただきたいのですが。ぶるぶる。)

 

それで、何が言いたいのかというと、わたしも最近その「多数派故の肩身の狭さ」と言うべき気分をよく味わうのです。つまり村上春樹のファンである、という理由で。

特にこの時期は毎年、なんとなく肩身が狭い。

 

わたしは、新刊をいち早く手に入れて読んだり、作品について仲間と熱く語り合ったりするほどの熱狂的ハルキストではないのですが、一番好きな作家はと訊かれて村上春樹と答えるくらいにファンなのです。

ところが先般、この問いにこう答えたところ、「おお…すごい。かっこいい!」と言われたのですよね。

何故に?と訊くと、つまり、村上春樹のファンを公言するって、今すごく勇気要るよねって話をされて、あー確かにとは思ったんですが、それについて思い出すと、いつも不思議だなーと思う。

人気作家であるにもかかわらず、何故なんだろう?と。

 

巨人もレッズも春樹も、(と乱暴にくくってしまうけど)熱狂的なファンと同じかそれ以上にアンチも多いので、好きだと表明するのに勇気が要る、ということなのかもしれない。

確かにネットを見ていると(例えばアマゾンのレビュー)、強烈なまでの春樹アンチにちょいちょい出くわしますしね。

それから、アンチが怖いのと同じくらい、狂信的なファンと同じにされたくない、という気分もあるかもしれない。

 

いずれにせよ、好きなものを素直に好きだと言いにくいというのは、なかなかに寂しいものですね。

…いや、なんか社会に物申したいというのではなく、最近なんとなく考えていたことを、なんとなく文章にしてみたかったのでした。