がんばれ、中秋の名月

一日一更新、六十六日目。

今日は十五夜ですね。十五夜…日本らしい、美しいイベントで好きです。イベントなのか?十五夜って。

わたしは、8月下旬頃からもう雑貨などを扱うお店がハロウィンの装飾を始めてしまうのが長年の地雷であった。

別にハロウィンが嫌いなわけではない。ハロウィンの装飾はたしかにかわいい。オレンジと紫という色の組み合わせもいいし、ジャックオランタンやお化けの飾りもテンションが上がる。それは分かる。分かるが、8月下旬からはさすがに早すぎるだろう。ハロウィンは10月末日、つまり2カ月も先なのである。2カ月前からハロウィンを始めたら、ハロウィン当日が来る頃にはハロウィンの装飾に飽きてしまうに決まっているじゃないか。

…と思っていたら実際にそうで、たいてい本当にハロウィンが近づいてくる10月末くらいになると、お店はもうクリスマスの装飾を始めだす。早い!早いんだよ!!

そうすると次には、11月あたまからもう店内はクリスマスカラーとなり、流れるBGMもクリスマスソングばかりになる。店員さんがたも、さぞうんざりすることだろう。まるまる2カ月間も、似たような鈴の音シャンシャンの決まった曲ばかりをリピートで聞かされていれば。

クリスマスだってハロウィンだって月末のイベントである。やるなら10月1日、12月1日からで良いではないか。

ものぐさなわたしなど、本当にハロウィンぎりぎりの時期になってからハロウィンマークの包装紙など買い求めようとするが、ぎりぎりになるともう売り場はクリスマスにとって代わられており全然買えなかったりして困るのである。もし売り切れてしまっているのなら乗り遅れたわたしが悪いのだから仕方ないが、本来ハロウィングッズが一番必要となるのは、ハロウィンの直前なのではないだろうか?元々は子どもたちにお菓子を渡すのが目的のイベントなのに、そんなもんを2カ月前から用意しておいたら、悪くなったり湿気ったりしてしまうだろう。

グッズ制作のデザイン会社や小売店が、だいぶ早くからイベントに合わせた企画を動かすのは、社会の仕組みとして仕方ないことだとは思う。思うが、一般消費者は会社の人たちが思うほど早くから、イベントの準備を始めないのだ。それに、あまりに早く盛り上げ始めてしまうと、ハロウィン当日が来るころには「なんかもうカボチャには飽きたよね」となって、クリスマスの赤緑が新鮮なワクワクを提供してしまうのだ。これでは本末転倒というものである。

そして、もうひとつ言いたい。ハロウィンによってないがしろにされているイベントが、9月にはあるじゃないか。そう!中秋の名月である。お月見である!!日本人なら、9月の美しい月を愛でよ!すすきを、曼殊沙華を愛でよ!

と、毎年この時期になると怒り狂っていたわたしなのだが、ここ最近少し風向きが変わってきた。あれ?ちょっと中秋の名月、盛り上がってない…?

そう。クリスマスもバレンタインもハロウィンもイースターも、イベントごとを仕掛けるのはいつも企業である。なにかの商品をイベントにかこつけて売れるタイミングがあってこそ、イベントごとは盛り上がるのだ。そして中秋の名月には、我々日本人に非常になじみ深いとある商品と深いつながりがある。

それはもちろん「月見バーガー」である。

www.mcdonalds.co.jp

玉子が間に挟まっているだけなのに、なんだかわたしたちは皆大好きなマックの月見バーガー、およびてりたまバーガー。マクドナルドがこの商品を扱い始めると、なんとなくだが「今年もやってきたか…一度は食べておかなければな」みたいな謎の気持ちになるのは何故だろう。普段はマックになど全然行かないのに、月見バーガーの看板を目にすると「ほう。そんな時期か。よし、今日の昼はマックにすっか」みたいな気分になったりもする。不思議な魅力のあるバーガーである。

そしてそのマックの月見バーガーの人気にあやかるようにして、去年くらいからファストフード各社が、そしてファストフードならずとも、コンビニ弁当なども「月見」商品を扱うようになってきた。お、じわじわと盛り上がってきているじゃないか中秋の名月。いいぞいいぞ、その調子で9月のハロウィンを駆逐してしまえ。

そうだよな、考えてみたら、いつもの品にちょっと玉子をプラスで乗っけただけで「月見〇〇」の完成だもの。コスパよくイベントに乗っかれて、こんないい展開の仕方はなかなかない。その点、ハロウィンはちょいと凝らなければならないから面倒そうだ。かぼちゃ味、すぐ飽きるし。お菓子業界も、9月からかぼちゃのモンブランばかりを売ろうとするのはやめて、もっとお団子などを押し出したまえよ。

というわけで、中秋の名月なのに全然風流な話題ではないが、9月中旬までハロウィンが始まらない世の中が少しずつ到来していることにご機嫌なわたしである。あとは11月のクリスマスをなんとかすれば、わたしの心は一年間安寧といって差し支えないだろう。

11月よ。お前は何ができる?いろんな会社が乗っかりやすい商品を頑張って展開してほしい。個人的には、やっぱりボジョレーヌーヴォーの解禁じゃないかと思うんですがどうですかね?別に酒造メーカーだけに限らず、ワインレッドのアクセとか、ラズベリーのワインケーキとかさ。かわいいじゃん?

ここがすごいぞ!ペルソナ5

一日一更新、六十五日目。

昨日ペルソナ5のことについて書こうとして、5を遊ぶに至るまでの経緯を書いたのだが案の定ばちばちに長くなり5を購入したところまでしか書けなかったので、今日はその続きというか、ペルソナ5というゲームのことについて書いていこうと思う。

kozarubiyori.hatenablog.com

昨日の記事に書いた通り、ペルソナシリーズは主人公たちがファンタジー世界の人間ではなく、我々の生きる現実世界と酷似した現代日本に存在する高校生であることが特徴で、そのごく普通の人間である彼らが、ひょんなことから異形の力(ペルソナ能力)を手に入れ、人知れず迫っている世界の危機と戦うことになる…というのがおおよその筋書きの物語である。

現在シリーズは1~5まで発売されており、一応彼らの存在するゲーム内「現代日本」は時系列に繋がってはいるものの、どのナンバリングタイトルから手に取っても問題なく一つの物語として完結するようになっている。(2のみ、『罪』『罰』の二本立てになっているが)

ペルソナ5のここがすごい①:街を実際に歩いているような画面の作り込みがすごい!

4がとある田舎町を舞台にしていたのに対し、5は渋谷を中心とした東京が舞台で、主人公の住まいは四軒茶屋、通っている高校は蒼山一丁目にあり、吉祥寺や秋葉原などの繁華街へも電車を使って行くことができる。その街並みのリアルさ、詳細な画面の作り込みに、まず驚かされる。

ゲーム序盤、地方からある理由で都内に居を移した主人公が、転校先に初登校する日に渋谷駅に降り立ち、「銀座線に乗り換えなくては…」という指示が出たきり、プレイヤーの自由行動パートとなり渋谷駅前に放置されるイベントがある。わたしは東京住みなので渋谷駅の周辺はよく知っているが、まずその街並みの再現度の高さに驚くとともに「ノーヒントで田園都市線から銀座線への乗り換えって、いきなりハードル高くない!?」と思った。

渋谷駅の銀座線は、地下鉄駅にもかかわらずなぜか地上3階部分に改札があるのである。初見でスムーズに銀座線にアクセスできる人間はおそらく多くないだろうし、駅の構造を知らなければ、とりあえず駅前をウロウロして案内板を探そうとするだろう。そうしてウロウロする間に、プレイヤーがゲーム内の渋谷駅周辺を見て回れる仕様になっているわけである。

地下鉄を降りた主人公が、初めて訪れる大都会・渋谷のど真ん中で呆然と立ち尽くす気持ちが追体験できる。しかも、転校初日の朝である。東京暮らしの人たちは軒並み足が速く、人を避けるのが上手い。そんな中で自分はうまくやっていけるのだろうかと不安になりながら、遅刻しないよう急いで向かわなければと焦りながら渋谷迷宮をうろつく主人公に、否応なく感情移入してしまった人は多いと思う。

これは間違いなく、ゲームだからできる体験だと思った。アニメやマンガで同様の場面を見ても、その街の広さや不安は主人公の表情から想像するしかできないけれど、ゲームだとそれはそのまま自分自身の体験になる。そして、現実の渋谷駅に実際に行ってみたとき、改めて「わあ、本当にペルソナ5そのままだ…」と感動してしまうのだ。東京住みのわたしですら今でも渋谷に降り立つたび「本当にペルソナ5のままだよなぁ…」と、放課後の渋谷周辺で流れるペルソナ5のBGMをSpotifyで再生しながらつい主人公になりきって街を歩いてみたりしてしまう。

これは今年聖地巡礼したときの三軒茶屋

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ペルソナ5のここがすごい②:ストーリーの見せ方が上手い!

ペルソナ5の主人公は、普通の高校生として蒼山一丁目にある私立秀仁学園に通い様々な人たちと交流するかたわら、人の心を盗む「怪盗」として異世界で異形と戦う二重生活を送ることになる。これだけで充分面白そうなゲームなのに、話はこれでは終わらない。

ゲームを始めてすぐのチュートリアル、主人公はカジノのような建物内で怪盗として暗躍し、怪物相手に大捕り物を演じているのだが、その後捕縛され、警察から厳しい尋問を受ける羽目になる。そう、始まって30分くらいでもう捕まっちゃうのである。

やがて切れ者そうな女検察官が登場し、主人公相手に取り調べを始める。そして語られる主人公の過去…一体この平凡そうな高校生が、どうして怪盗を演じることになったのだろうか?

というところから4月になり、主人公が東京へやってきた経緯が語られる。つまりプレイヤーは、「警察に捕まった主人公が取り調べで語った内容を追体験する」形でストーリーを追っていくのである。この流れが非常に斬新だった。こういうタイプの物語は数あれど、それをゲームでやる、というのが新しく感じた。

ゲームでは我々プレイヤーは主人公キャラクターを操作し、彼/彼女になりきってその世界を生きる。けれど、主人公たちがそれまでどんな人生を送ってきたのか、他の登場人物たちとどんな関係なのか、主人公なら当然知っているはずのことを、我々プレイヤーは知らない。その構図を逆手に取るような演出だったと思う。

主人公を取り調べる検察官とともに、わたしたちは主人公の語る事件の真相に迫っていく。ゲームを遊び進めるうちに、4月から始まるこの物語が「捕まってから語られている追体験」であることをつい忘れて楽しんでしまうのだが、ストーリーが進行するタイミングで現実に引き戻されるように取り調べのシーンが差し挟まれ、主人公と検察官のやりとりが展開される。

そして、その取り調べの中でとうとう「カジノに侵入した」話が語られるとき、追体験であった物語が取り調べ中の現在とついにリンクするのである。そこで、エンディングルートの分岐点がやってくる。語られてきた物語の全容を知ったプレイヤーの選択によって、主人公の運命、ないし世界の命運が左右される。

ペルソナ4で一度栄華を極めたアトラスが、次なるナンバリングタイトルとして素晴らしい完成度で打ち出してきた5。世界に賞賛されるに相応しい圧巻のストーリーだった。

ペルソナ5のここがすごい③:スタイリッシュすぎるUIと音楽

アトラスのUI(ユーザーインターフェース)はとにかくすごい。とくにペルソナ5以降は、メニュー画面への移行モーションがカッコよくて見ているだけでゲーム世界に浸れるし、なんだかゲームを遊んでいる自分までカッコよくなったような錯覚を抱かせるほどである。

ただカッコいいというだけでなく、スタイリッシュな中にも必要な情報が分かりやすいよう整理された画面配置や、ボタンひとつで必要なアイテムにアクセスできる配慮など、単なる雰囲気出しではなく、ゲームをストレスなく遊ぶための工夫が凝らされている。まだの人はぜひ一度触ってみてほしい、デザインの匠を感じるポイントである。

www.famitsu.com

そして音楽!近年のペルソナといえば代名詞にもなっている歌入りのBGMだが、これがまた作品世界の魅力を更に引き立てている。

ざっくり表現すると、ペルソナ3はクールなロック、ペルソナ4はかわいいポップときて、ペルソナ5は大人なジャズである。東京の人混みを背景に日常を過ごしている時に流れる雑踏を思わせる賑やかな曲や、敵の監視の目が光るパレス(ダンジョン)に侵入しているときの緊張感溢れる曲、そして、運命の決戦を前に主人公たちの決意があらわれているかのような高揚感に満ちた曲。歌い手のLynさんの伸びやかなボーカルは、華やかだけれど決してゲームプレイの邪魔にならず、ストーリーを飾り立てる。ライブで聴くと、圧倒的声量とともにゲームの内容が鮮やかに思い出され、思わず目頭が熱くなってしまう。

サントラだけでも一度聴いてみていただければ、これ本当にゲーム音楽なの?と驚くこと請け合いです。

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気付けば3000字をとっくに超えていた。これまで書いた日記で一番長い記事になったかもしれない。これ日記か?

とにかく最高のゲーム体験ができるし、できればペルソナ5は特に、ネタバレを見ずに遊んでほしいと思う。序盤の出来事だしもう8年前のゲームだしで、「開始30分で捕まる」などのネタバレを書いてしまったが、本当ならそれも知らずに遊んでほしいくらいである。

いろんな配信者がゲーム実況をしていることも多いペルソナ5だけど、上記のとおり、自分自身で操作するから余計に主人公、他のキャラクターたちに感情移入できるし、プレイヤーによって思い入れのあるキャラも変わってくる。ファン同士で話していると、自分しか体験していない個人的な出来事でなく、他のプレイヤーたちも自分と同じように主人公たちの物語を追体験しているのが不思議に思えてくるくらい、個人的な感情の載る作品である。

竜司と一緒に怒り、杏ちゃんと一緒に笑い、祐介と一緒に悩み、真と一緒に考え、双葉と一緒に泣き、春ちゃんと一緒に苦しんだのが、自分だけでなかったんだなあ…と思ってしまうくらい、登場人物たちが仲間として身近に感じられる作品である。

8年前のアトラスさん、傑作をありがとう。『メタファー』にも期待しています。

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ペルソナ5の8周年おめでとうございます

一日一更新、六十四日目。

今日はペルソナ5発売8周年だそうですね。まことにめでたい。

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ペルソナシリーズでわたしが一番最初に遊んだのは『女神異聞録ペルソナ』、すなわち1(無印)である。

www.atlus.co.jp

初代プレステで1996年に発売されたゲームだ。発売当時わたしは中学生で、同じ部活の友達が遊んでいるのを見たのがペルソナとの出会いだった。

その子はオタクアンテナの高い子で、アンジェリークもペルソナも彼女から教えてもらった。部活終わりにその子の家に遊びに行くと彼女はだいたいいつもゲームをやっており、わたしはそれを隣で見ているのが好きだった。

初代ペルソナは、今思えば友達が遊んでいるのを隣で見るのに適しているとはあまり言えないゲームである。イベントシーンより、キャラ視点の3Dダンジョンで延々レベル上げをしているところを眺めている時間が主だったと思う。それもそのはず、このゲームは一つのダンジョンに潜るとゆうに3~5時間は外に出られないし、セーブもできない。彼女がダンジョン内で戦闘を繰り返し、階段の踊り場で反復横跳び(※初代は歩いているとSPが微量回復するのだが、通常フロアで歩くと敵にランダムでエンカウントしてしまうため、会敵しない踊り場がSP回復ポイントとしてプレイヤーたちから重宝されていたのである)しているところを延々見せられるという、今考えれば何が面白かったのかさっぱりだが、まあそういう感じの時間を、当時のわたしは毎日のように過ごしていた。

でも、この延々とダンジョン内をウロウロしているRPGが、当時のわたしの目に大変斬新に映ったことはよく覚えている。まず、主人公を含むキャラクターがごく普通の高校生で、勇者や戦士などの肩書きを持つ異世界の人たちではないことが非常に新鮮だったのだ。

彼らはそのへんにいそうなちょっとひねくれた高校生で、コックリさん的な呪術めいた儀式を遊び半分で試してみることから物語が始まる。そういうちょっと危ない遊びに興味を持つ感情も、彼ら一人一人が抱えている事情や性格や話し口調もとても共感できるものだった。また、キャラクターデザインとユーザーインターフェースがスタイリッシュでカッコよく、その上オカルトめいてもいて、当時中3のわたしが惹かれる要素がいっぱいに詰まっていた。

中学を卒業し高校に入学すると、入った部活で知り合った一つ年上の先輩がこの『女神異聞録ペルソナ』を持っていて、最初は借りて遊んだような気がする。たぶん途中で自分で買い直したと思うが、それまで遊んだことのあるドラクエなどのRPGに比べてペルソナ無印は格段に難易度が高く、ダンジョンも長いしゲーム全体も長い。しかし、高校入学したての、受験から解放されたばかりのわたしにとってはその長さがとても嬉しかった。ずっとゲームをしていられるのが楽しかった。長かったけど、思い出深いゲームだった。

それから長い時間が流れ、ペルソナ4を遊んだのはペルソナ5が発売した2016年のことだった。

ペルソナ4自体は2011年に発売されたのだが、その当時わたしは存在こそ(ニコニコ動画で)認識してはいたものの遊んではいなかった。アニメやマンガは好きでも、なんとなくゲームからはわりと縁遠い時期だった。なにせ、皆様ご存知とは思うがゲームは一度始めると時間泥棒なのである。同人活動を始めてからは特に、原稿にイベント準備にと忙しく、あまりゲームをやらない生活が続いていた。それが2016年の秋頃、イベントとイベントの間がわりと空いている時期があり、時間がとれるな…と思っていたときにふと、当時あちこちで宣伝を売っていたペルソナ5の、杏ちゃんのビジュアルが目に留まったのである。

「ペルソナシリーズが初めてでも大丈夫!」

かわいい杏ちゃんの立ち絵横の吹き出しにそんな文言が踊っており、わたしはペルソナシリーズを遊ぶのは初めてではないものの、初代が面白かった記憶があったため、「シリーズのナンバリング順に遊ばなくてもいいなら、ちょっとやってみようかな」と思ったのである。

しかし、そのままペルソナ5を買わないのがわたしの天邪鬼なところである。発売したてでまだ評価が固まっていない5より、まずはシリーズ中でも人気が高いと聞く3か4を遊んでみようかな、と考え、同人仲間のアインさん(ペルソナシリーズが好きで、発売日に5を買って遊んでいると聞いていた)に「ペルソナを始めるとしたら、3か4どっちがいいですか?」と訊いてみた。

このときアインさんは、ご自分の最愛コンテンツである3ではなく、4を勧めてくださった。わたしはそのときのことを彼女に深く感謝している。なにせわたしはプレステ2でその2作のどちらかを遊ぼうとしていたのである。3は重厚なテーマと深いストーリーが人気の名作であるが、その時点でプレステ2の初代を遊ぶのは、少しばかりAI精度やコミュシステムなどの点において初心者にはハードルの高いソフトであったと、今なら分かる。その点、4は完全版ならずとも無印の時点で既にゲームとしての完成度が高く、またストーリーもペルソナシリーズにしては明るめで、初心者の入り口にはピッタリの作品だった。

自分の一番好きな作品を布教するより、より初心者に刺さりそうなタイトルを推してくれたアインさんのお陰でわたしは無事4によってペルソナの沼に深くハマり、こんなに面白いならぜひ最新タイトルを遊ばないと!ということで、ペルソナ5も買って遊ぶに至ったのである。

ペルソナ5の発売8周年祝いで記事を書き始めたのに、ペルソナ5のことを話すまで2000文字近くかかってしまった。この続きの、ペルソナ5の話については明日書くことにします。

ぬいを洗う

一日一更新、六十三日目。

東京は、秋晴れの気持ちが良い天気が続いている。残暑ではあるが、わたしは暑いのが好きなのでこんな陽気が一番好きなくらいである。

秋晴れの日というのは、絶好のぬいぐるみ洗い日和である。というわけで、我が家のぬいたちを洗濯しました。今はハンモック状にした洗濯袋に入れられて、乾かされ中です。

先日、北海道旅行にも連れていったが、なにせうちのぬいはあちこち旅に連れ歩かれている。お家にいても、抱っこしたりなんだりでよく触るため、本当なら季節に1回は洗ってあげたいところだが、冬場は乾きが悪いので中に水分が残っちゃっても可哀想だし、春・夏・秋にそれぞれ1回は洗うくらいの年3回お風呂ペースである。

特にムーミンは、ベルベットタッチのふんわり素材でできた真っ白いからだのぬいなので、人間の皮脂汚れで黒ずんだりしてしまっては可哀想である。見た目はかわいいけど近くで嗅ぐと…あら…みたいになっては目も当てられない。ぬいたちにとって、愛されているがゆえに背負わなければならない苦痛…それが洗濯である。

いや、苦痛といっても、ジャブジャブと洗剤入りのぬるま湯で手洗いされている最中はお風呂に入っているようで結構気持ち良さそうだ。お風呂(手洗い)もシャワー(すすぎ)も楽しいものである。問題は、そう…洗濯機の中に入れられて脱水をかけられるターン。あれが地獄である。

バスタオルにずぶぬれのぬいを包んで、洗濯ネットに入れ、脱水ボタンを押す瞬間は大変緊張する。徐々に速くなる洗濯機、中でぐるんぐるん振り回され、水分を抜かれていくぬい。ガタガタ揺れる洗濯機の中から、彼らの怨嗟の声が聞こえてくる。「うわーはやいーこわいー」「やめろーころすきかー」「しぬーたすけてー」。その間は、ぬい主の我々としても生きた心地がせず、中で千切れたり、痛い思いをしていないかとただただ心配することしかできない。脱水が完了し、洗濯機の扉のロックが外れるまで無事を祈り続け、作業完了のメロディーが流れだすや否や扉を開け、ぬいたちを救出する。

「ふう…生きた心地がしなかったぜ…」というような顔でバスタオルから顔を覗かせた彼らの健闘を称え、どこも怪我をしていないことを確かめたのち、ふたたび洗濯ネットのハンモックに包んで、外に干してやる。←今

あとは、気持ちの良い風にゆらゆら揺れながら、無事に乾くのを待つばかりである。

無事きれいに乾いていいにおいになったら、また一緒にお出かけしようなー。f:id:akasakito15:20240913135456j:image

同人誌作るのって大変ですよね

一日一更新、六十二日目。

このブログを書く時間を、そろそろ小説の執筆に充てないといけないのではないかと気づき始めた。

本当は、このブログを継続して書き、ブログの更新で筆慣らしを終えた後に続けて小説の執筆を始めるのが良いのだと思う。が、そうなると結構な時間パソコンに向かい合わないといけないことになり、ただでさえルーチンを終わらせる時間を最適化するよう慣らしてしまいがちな性分ゆえ、そうなるとちょい長えなと思ってしまう。ぐちぐち言ってないで書けばいいんですけどね。どうしていきましょうかね。まあまだ時間はあるしゆっくりでええか…。

こうして毎日書いていて思ったことは、自分は文章を書くのが全然嫌いではなく、わりあい、というかだいぶ好きなのだなということである。え…当たり前では?書くの嫌いな人が、小説とか書こうなんて思わなくない?いやそうですよね。本当にそう。そうなんですけど、なんかさ。同人誌を出そうと原稿を頑張っているときって、とにかくイベントまでに何とか拵えなきゃみたいな気持ちでやっているから、「あー書くの楽しい好き」みたいなこと考えてる余裕ないんですよね。

以前にも書いた通り、わたしは怠け癖のあるだらしない人間なので、〆切というものが設けられていないと、コンスタントに文章を書くことができない。イベントも申し込んでいないのに、定期的にpixivやエックスに新作を投下できる人は本当にすごい偉いと思う。でも文章書くの好きなのなら、元気いっぱいに書けばいいじゃないの。と思うじゃないですか。いや、それがねえ。なんでしょうねえ。面倒臭いっていうか、なんていうか…。仕方のない奴なんですよ。

こういう文章ならわりに考えなしにどんどん書けるのでいいのだが、一本の筋があるお話をちゃんと書こうと思うと、なんというか勢いみたいなものが必要になってくる。はじめと終わりをちゃんと決めて走り始めたはずが、途中で脇道に逸れてみたらどこへ行こうとしていたのか分からなくなり、そもそも何が書きたかったのだろうと悩み、二、三度書き直し、最終的にもうこれでいいやとなって脱稿するが、そういえばタイトルも表紙も全然考えてなかったことにそこで初めて気づき、半日くらいでもう時間ないしこれでええわと適当にやっつけて入稿する。何回やっても、何冊作っても、いつもこんな調子である。時間があろうがなかろうが、あまり変わらない。書いているうちに自分で嫌になってくるが、どうしたもんでしょうかね……

だいたい中身に懲りすぎて表紙とタイトル(や、装丁)にかける時間が全然ないため毎回やっつけなのが、本当にまずいですね。どうなんでしょうね。

え?なにこれ今日の日記。これは…内省を通り越して自虐というか、もはや愚痴?長々と失礼しました。

日本のバンドのTシャツ

一日一更新、六十一日目。

昨日、バンドTばかり買ってしまう自分に嫌気が差したという話を書いた。実際にそうで、わたしの衣装ケースの一ボックスいっぱいに、バンドTが詰め込まれている。

昨日は洋楽のバンドラインナップを述べたが、もちろん日本のバンドのTシャツもある。しかし、圧倒的に海外のバンドのTシャツが多い。なぜか?もちろん、「服屋で売っているから」である。

日本のバンドのTシャツは、基本的にライブに行ったときの物販でしか買えない。通販もあるが、当然のごとくバンド公式が売っているものである。しかし海外の古いバンド(今も活動しているバンドも含め)のTシャツは、そのへんの服屋や古着屋で多数売っている。権利関係がどうなっているのかは、よく知らない。明らかに権利関係をクリアしていないだろうと思われるTシャツもかつてはたくさんあったし(ジャケットのパロディTとかね)、今でもその手の怪しいTシャツは、例えば中野ブロードウェイなどにまだまだたくさん売っている。そういう明らかにヤバいTシャツ屋さん(本来の意味で)は数あれど、そういうところでなくてもたとえばアローズとかビームスとかでもニルヴァーナのTシャツを普通に売っているが、かつてカート以外のメンバーとコートニーとの間で裁判沙汰になったという、ニルヴァーナの版権問題をクリアした品なのかどうかは、あのー、わたしには分かりません。その裁判も結局どっちの主張が通ったのだったっけな。すべてが曖昧なままである。

なんにせよ、海外のバンドTはよく売っているが、日本のバンドはそうではない。そのため、必然的に海外のバンドのTシャツばかり持っていることになる。

わたしが持っている日本のバンドTは、ロックフェスに行ったとき買ったものと、ワンマンライブに行ったときに買ったものだけしかなく、それも、一番たくさんライブに行っていた20代の頃に購入したものはことごとくボロボロになって処分してしまったため、直近10年分くらいしか保存できていない。

現存しているのは、小沢健二のライブTが大多数で、あとLUNA SEAが主催のロックフェス(ルナティックフェスト。最高でした)に行ったとき買ったフェスT、それとクリーピーナッツのR指定が友達から借りたブリッブリのアクセを身に着けている姿がどどーんと印刷された、クリピのTシャツ(というよりRさんのTシャツ)だけである。このR指定Tシャツには「ブリンブリン」と印字されており、目下大流行中の例の楽曲リリース前にもかかわらずなかなか先見の明溢れたTシャツと言えるが、それゆえに今着て歩くのはちと憚られる。

あ、それとペルソナライブに行ったとき買った(もらった)Tシャツもあるな。バンドTか?って感じだけど。

5月に行ったフェスJAPAN JAMでは、結束バンドのTシャツをワンチャン買いたいと思っていたのだが秒殺すぎてとても買えなかった。でもその後、時間をおいて物販閉まりかけの頃にまだ売れ残っていたバスケユニフォーム風のフェスタンクトップを買いました。その前にもサマーソニックに行ったとき買ったバスケユニがなかなか使い勝手が良かったため二枚目を購入した形だったのだが、よく考えてみたらサンボマスターのTシャツとか買えばよかったな…。いや買えばよかったな…ではない。昨日の記事のタイトルを思い出せ。これ以上バンドTは買わないと決めたばかりではないか。

とはいえ、もしライブに行く機会があったら、サカナクションとかもTシャツ欲しいですね。いや欲しいんかーい。f:id:akasakito15:20240911182452j:image

 

いい加減、バンドTを買うのをやめにしたい

一日一更新、六十日目。

いい加減、バンドTを買うのをやめにしたい。そう思っているのに、カッコいいバンドTがお手頃価格で売っているとついフラフラと買ってしまう。

自慢じゃないが、わたしはバンドTをいっぱい持っている。上記の通り、見かけるとついフラフラと買ってしまうからである。ビートルズローリングストーンズ、ガンズアンドローゼス、レッドツェッペリン、AC/DC、ブラックサバス、メタリカ、KOЯN、デヴィッド・ボウイボブ・マーリーレッチリニルヴァーナサブライム…。これだけ持っていてもなお、まだレディオヘッドないから欲しいなあとか、あれ?そういえばKISS持ってないじゃんヤバとか、レイジアゲインストザマシーンのTシャツって見かけないけど出回ってたら即買うだろうなとか、このラインナップならディープパープルは必要だろとか考えている。いったい何を考えているのだ。洋楽だけでこんなにあるんだからもう充分だろう。

一応、買うのには縛りがあって、聴いたことのないバンドのTシャツは絶対に買わない。聴いたがあまり刺さらなかったバンドも然りである。あと、これは縛りでもなんでもないが高かったら買わない。最大出して5千円くらいまでにしている。昔、ものすごーーーーーくカッコいいサバスの8000円もするTシャツを見かけて、あまりのカッコ良さに30分くらい悩んで店員さんにももう勧める文句が尽きるくらい勧められた末に買い、20年以上愛用しているが、それはごく例外である。着倒してもう着れないくらいに着古したら捨てる。そんな気合いと勢いで、バンドTを買いそして着ている。

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これが、8000円もしたブラックサバスのTシャツだ!ロンTなら8000円くらいはするだろうよと思われるだろうがなにせ20年前ですから8000円はなかなかに清水の舞台だったのである。とはいえ、20年も着倒せば十二分に元は取っているし、なんならドラゴンアッシュ馬場育三さんも同じTシャツを着てアー写を撮っておりそれを見た瞬間に値がつけられないお宝になったのだが。こればかりは、いくら着古しても捨てられないですね(ちょっと袖のところ破けてるんだけど)。

とかなんとか、自慢げに書いてきたのだが、実を言うとこんな生き方、もう卒業したいんです…。

以前、女性誌に「ロックTはアラサーになったら卒業しよう」みたいな記事が出て、それに対してうるせ~~~~知らね~~~~ファイナルファンタジーと敵愾心を抱いた方も少なくないと思うが、わたしなぞそんな記事などどこ吹く風、アラサーどころか一生涯バンドTで生きていくぜ、だってバンTがこんなに出回る世の中って最高じゃん、俺の時代が来たんじゃん、それなのに縮こまってられっかよ、みたいな気持ちだったのだが、最近は「いくらなんでもやばい」とようやく思い始めた。何事にもワンテンポ遅いのである。

なにがやばいって、バンドT「しか」着てないのがやばい。バンドTを買うのが楽しすぎて、買い物に行くたびにバンドTを探してしまい、他の(まともな)服に興味が持てなくなってしまった結果、衣装ケースにバンドTが溢れ、「せっかく買ったんだからお出掛けのときに着てよう」と主張してくるので(これがまた主張が強い面構えの奴ばかりなのだ)、結果バンドTしか着てない。ロックンローラーでもないのに、バンドTしか着てないのはやばい。ロックンローラーでももう少し社会に適合した服を着ている。

上バンドT+下ユニクロ。まずいまずいまずい。ここまでまずいともう年齢がどうとかの問題じゃない。それ以前の問題だが、年齢を考えるともっとまずい。いい加減にしないといけない。ので、いい加減にするためまともな服を買いに行きたいです。どなたかわたしと、まともな服屋に一緒に行ってください。(一人だと、またバンドTを買ってしまいかねないため、ストッパーになってくれる人を募集している様子)