シン・エヴァンゲリオン感想(ネタバレ注意)

1日経ってまだ完全に消化できたとは言えないまでも、だいぶ頭と心は落ち着いてきた。
何にせよ、「エヴァがちゃんと完結して良かった」に尽きます。庵野監督本当にお疲れ様でした。

エヴァは、子どもであるシンジと、大人(≒親)であるゲンドウの物語であり、同時に庵野秀明という個人の物語でもあると思っていた。テレビアニメシリーズから長い経緯を経て、そのシンジとゲンドウ、庵野秀明を中心とした世界に、他のたくさんの人の想いが載る物語になったんだな、って、シンエヴァを観て強く感じた。
テレビアニメシリーズの最初の時点で、ここまで大きな物語になるとは、間違いなく監督も考えてはいなかったろう。それが、話が進むにつれ自分一人の腕では抱えきれないほど多くの人の想いが物語に載ってしまい、落とし前をつけたい、つけなきゃ、という気持ち(と若さ)が暴走した結果できたのがEOEなんだろうし、EOEを叩きつけてエヴァンゲリオンを終わらせた後に、しかし庵野自身が、このままではいけない、この呪いを抱えたままでは創作者として行き詰まる、と気付き、「EOEの呪いを解く」覚悟を決めてエヴァを再構築したのが、序破急の新劇場版なのだろう。
シンは「急」で本当に終わらせるつもりだったのか勘繰りたくなるほどのボリュームであったが、あまりにQの世界が冷たすぎ、シンの世界が温かいことから、Qとシンは「破壊からの再生」として本来は1本にまとめるべき(まとめたかった)話であったと思う。二作に分断したのは、断腸の思いだったのではないだろうか。
シンを待っていた今まではとにかく、これからはQだけを採り上げて批評批判するのはやめにしませんか。シンのためのQだったのは、シンを観た人ならだれもが分かったはずなので(ていうかもう嫌なんだわたしは、Qを大喜利のネタみたいに扱うのにはもううんざりなんだよ…)。

改めて、エヴァンゲリオンは、シンジとゲンドウを中心とした物語である。
子どものままでいたいと願う子どもと、自分自身も大人になりきれていないことを自覚しているからこそ子どものままでいようとする子どもの姿に苛立つ大人、その双方が立ち止まり、苦しみ藻掻きながら、最終的には子が成長することを寿ぐ物語になった。
子であるシンジに対して、ゲンドウは一度として導き手たり得ない。シンジを成長させるのは、他者であるミサトや加持であったり、レイやアスカやマリであったり、トウジやケンスケであった。この「周囲の人間のお蔭でシンジが成長した」という描写は、長い長いエヴァンゲリオンの物語の中で唯一、シンにしか描かれていないものだ。
我々は数多の物語で、或いは自らの人生で、子どもは親だけが育てるのでないと知っている。自分自身だって、周囲の人間に与えられた影響があって今ここに立っている。誰もが知るそのことを、シンジくんが初めて自覚し、それを親たる存在(ゲンドウであったりミサトであったり)に自分の言葉で伝え、過酷な運命を乗り越えて成長できたことが、何より嬉しい。かっこよくなったね、シンジくん。庵野監督はシンジを、あの、物語史上でも稀に見る弱虫で舐められがちな主人公を、ついに最高のヒーローにしてくれた。何よりもまずそれが嬉しい。
シンで何故「周囲の人間のお蔭でシンジが一回り成長」できたのかというと、エヴァはもはや庵野個人の物語ではなく、たくさんの人の想いが載った物語になったからなのだろうと思う。
庵野以外の人が自分(エヴァ)を好きでいる気持ちを、すごく大事にしてくれた物語でした。シンジくんがキャラを一人ずつ救済してくれた描写に、オタクたるわたしの愛も報われた。
わたしは今回、全然監督に突き放されたとは思わなかったな。むしろ「俺EOEであんな無茶苦茶したのに嫌わないでついてきてくれてありがとな」って言ってもらえた気がした。
そもそも、エヴァってオタクにすごく優しい物語だと思う。エヴァはオタクが考察して楽しむことを前提に作られてる話で、オタク同士で知恵を持ち寄り一生懸命頭をひねれば、ちゃんと謎が解ける難易度に設定されている。
エヴァが終わってしまった今、我々は一体どの作品を夜を徹して語ればいいのだろう?それくらい、オタクとエヴァについて話すのは、いつだって楽しかった。まさか四半世紀も、この遊びを続けられるとは思わなかった。中学・高校から大学、社会人、結婚相手を通じて、わたしは何人ものオタクたちとエヴァについて話す、楽しい人生を送ってきた。エヴァがあったから仲良くなれた人もいたと思う。ありがとうすべてのエヴァンゲリオン

 

内容についてほぼ触れずにえらい長くなってしまいすみません。

以降は、ここまでほぼ触れられなかった、ストーリーの内容について語りたい。


まずわたしは、序盤にトウジが出てきた時点でもう「勝ったな」と思いました。(初号機が暴走した時の冬月のポーズ)
鈴原トウジエヴァンゲリオンの良心、エヴァにおける光である。
トウジという光が、『命の選択を』で消されることなく(あの男は、あんな目に遭い片足失くしてもなお淡く光ってたけどな…)、ネオサーの後も明るく逞しく、そしてシンジを恨むことなく生きていたというだけで、もう我々の勝利は約束されたも同然であった。
トウジとケンスケ、ヒカリら「日常担当」の面々が、昭和のような懐かしい景色の中で希望を失わずに日々を生き、子を産み育て、その中でシンジやレイ(β)が再生していく展開は、わたしにはまったく予想外だった。こんな明るい救済の仕方が、この物語に用意されているとは夢にも思わなかった。
でも、そうだ。庵野監督は『シンゴジラ』で、日本という国が勇ましく現実と戦い、そして復興していく姿を描いていたんだった。レイが人の心を得、シンジを立ち直らせるに足る舞台は、エヴァという物語の中にもちゃんと用意されてあったのだ。

あの、我々がかつて愛した旧エヴァの中で発したのと同じ台詞を、再びレイが言う。「これが涙?泣いているのは、わたし?」
レイがシンジを守るため、零号機と共に自爆することを決めた場面で口にされた哀しい台詞を、今回この場面に持ってくることに、わたしも落涙せざるを得ませんでした。けど、その場で消えずにちゃんとシンジくんに会ってお別れを言えたことで、救いがある終わり方になっていたのが良かった。
ケンスケによる「今のこの世界」の解説は、ミサトやリツコがするよりなんだか優しい感じがする。シンジを追い詰めないよう配慮された言葉だからか。ケンスケとトウジが、あの時から(容姿も中身も)変わらない子どものままのシンジを受け入れ、友達として遇してくれたことが嬉しかった。

ケンスケといえばアスカですけど、大人になったケンスケの外見がちょっと加持さんを彷彿とさせる感じだったのは、アスカにとっての保護者を我々にダブらせる意図だったのかな?
アスカは男の趣味がいいですね。ケンスケがフォースインパクトを目前にして、最前線で怯まずに8ミリを回している場面にはぐっときました。ええ男になったな。

エヴァには乗らんといてくださいよ」と「行きなさいシンジくん」からの「あなたはもう何もしないで」を、ちゃんと回収・救済してくれて本当にありがとう~~!!ツイッター大喜利で「エヴァといえば」みたいな感じにイジり倒されて本当につらかったよわたしは。
特にわたしはエヴァで一番好きなキャラがミサトさんなので、掌返しって言われたり「大人のキス」を揶揄されたりゲンドウと同じくらい駄目な大人の代表みたく言われて傷つきまくっていたので、シンでの彼女の在り方に心の底からほっとしました。本当に、理想通りのミサトさんでした。そうなんすよ、ミサトさんはかっけーんすよ。
ミサトさんがまたシンジを庇ってEOEで被弾したのと同じ場所を撃たれた時、めちゃめちゃ泣きました。つーかあそこの場面、やばくないすか。ミサトもシンジも成長し、理解し合って、失った時間を埋めるかのようにつかの間語り合うあの場面、素晴らしかったよ…。わたしはこれが見たかったんだ、ずっと。
「リョウジくんと会ったよ。すごくいい奴だった」一言一句合ってるかは分かりませんけどこの台詞を言ってるときのシンジくんが優しくて、大人でね…。「いい人」じゃなく「いい奴」なのがいいよね。シンジがミサトを信頼して、赦して、救おうとしている言葉なのが伝わりましたね。ゼルエル戦の「ミサトさん!」「五番射出急いで!」が、今までで最もシンジとミサトが通じ合えた瞬間だった(と思ってた)けど、あの場面の信頼関係を最後に超えられたの、最高でしたね。書きながら今も思い出し泣いてる。
ミサトさんもですけど、加持さんもかっこよかったですね、出てこないけど。
けど加持さんはずっとかっこいいので、「今までもずっとかっこよかった加持さんだが、今回なんと、我々が思っている以上にかっこよかったことが判明した」という感じでしたね。
加持さんは寝ても覚めてもずっとかっこいいからずりーよな。どろ臭く足掻いてみっともないこと沢山しながらかっこよくなっていくミサトが好きだよ。畜生、リョウジくんにかっこよくならない要素がない。だって既にかっこいいもんな、リョウジくん。存在がもう救いだもんな…。

さてゲンドウについてですが、今回彼が救済されてよかったなと思えた理由は、新劇場版からのゲンドウはリツコとリツコの母親に手を出していないからですね…。
今思えば、あれは物語をより陰惨にするための要素だったので、新劇まで持ち越されなくてマジでよかった。赤木親子を食ったゲンドウは、初号機に喰われて死んでよし。亡き妻だけを一人の女としたゲンドウだから、最愛の女に会って良し!
おかげで今回はリツコも遠慮なく元上司に向かってバンバン発砲、無事脳髄をぶっとばせました。OKナイスりっちゃん。ベタだけどそれまで「艦長」とかお互い役職で呼び合ってたところが最後に「ミサト」呼びになるの、全人類が大好物なやつだぜ。

本当にゲンドウという人間をここまで掘り下げて描写するとは思っていなかった。誰もが認めるラスボスであるにも関わらず、ゲンドウのことは今までほとんど語られないままだったから。
知らなくていい情報、というより、シンジは知り得ない情報だったということだろう、これまでは。だからシンジの視点に立つ我々にも、ゲンドウの情報は開示されない。シンジがゲンドウを超えて初めて、彼の過去と、人となりが語られた。
想像以上に普通で、妻を若くして亡くしたこと以外はとりたてて変わったところのないただの「俺ら」だった。信頼できる友人を持たず、心を閉ざして生きることに慣れ、唯一心を開いた女性以外に何一つ拠り所を持たない男。一人息子であるシンジも、拠り所なき自分の生き写しのようで愛することができず、ずっと背を向けてきた男。
でも、そのシンジの中にこそ、探し求めた妻は残っていたのだ。シンジの半分はたしかにゲンドウだが、もう半分は、ユイでできているのだ。そんな当たり前のことに、四半世紀経った今ようやくゲンドウが気づいて、駅のホームで泣いている「あの幼い日のシンジ」を抱きしめたとき、とうとうこの長い親子の確執に決着がついたのだと思った。

観終わったあとずっと「渚司令とは?」って考えていたんだけど、カヲルくんは、ゲンドウがこうなりたいと思う理想の姿だったのかなと昨日の夜ふと思った。シンジに寄り添い、支え、幸せにしてあげられる存在で、永遠の少年。だから知識豊富でピアノが上手いのかな。シンジにピアノを教え、連弾がしたかったのは、本当はゲンドウだったのかもしれない。
今回のカヲルくんが使徒だったかどうか、ちゃんと考察できてないんですが、使徒というのは「こうだったかもしれない」進化の可能性ということなので、カヲルくんはゲンドウの「こうだったかもしれない(こうなりたかった、こうだったらよかった)」なのかもと…。
(だから、ラストシーンでレイとカヲルが一緒にいるのかも)

アスカがレイと同じ「仕組まれたチルドレン」になったのは、旧劇のラストでシンジを拒絶したことと繋がっているんだろうか?
だとしたら、やはり新劇場版の世界はEOEから転生した世界なのかな。
ずっと不幸続きだったアスカがケンスケという「普通」によって救済されてよかった。「気持ち悪い」の時と近しい状況にあって、シンジとちゃんと話ができてよかった。アスカが自分からシンジに向き合いに行けてよかった。

アスカとマリは、新劇場版の謎と直結する存在なので、もう少し考えていきたい。まだちょっとよく理解できていない。
マジでマリって何者だったんだ?少なくともシンジが生まれた頃からゲンドウたちと同じくらいの年齢で実在していた人のようだ。
メタ的には「マリ=安野モヨコ」と言われているみたいだが、うーーーーん分かるけど、分かるけどなっんか違う気がする。たしかに本当に庵野監督はモヨタンと結婚してよかったねとどちゃくそ思うけど(わたしは元々どっちのアンノもファンなんですよ)、マリとシンジが最後あれ、どうなってああなった??っていうのも、正直よく分かってないしな。
あと、「〇〇のマリアか」って冬月が言ってたのもなんだったっけ?やっぱ一度観ただけではちゃんと考察しきれないですね。他のオタクの意見聞きたいです。

あと、アスカの子どもの頃のイマジナリー(?)映像出てくるけど、あれ雪降ってるってことは冬なんかな。冬があるってことはセカンドインパクト前ってことだよな。でも幼いシンジくんがパパママと一緒にいて??
セカンドインパクトで地軸が歪んで日本は常夏っていう設定、もしかして新劇場版では出てきてない?もうどこまでが今回に引き継いだ設定なのか整理できてませんね。やっぱりもっと掘り下げないといけない部分まだまだたくさんあるな、エヴァンゲリオンは。

前半でかなり書いたから敢えて後半では触れなくていいかとも思ったけどやっぱりここまできたらシンジくんについても書こう。
本当にかっこいいヒーローになってくれて、四半世紀も彼にやきもきさせられてきた我々は感無量ですよ。EOEでは結局、ろくに成長なんかしなかったですからね。「僕に優しくしてよ!!」とアスカにキレ散らかしていたシンジくんが、「みんななんでそんなに優しいんだよ…!」って泣きながら言えたの、それだけでもうすごい成長ですよね……。
まどかが魔法少女たちを一人一人救っていったのを思い出しました。しゃがんでる時間が長いほど、人は神に近づけるのかもしれません。
ラストでCV神木くんになったのは、永遠の14歳だったシンジがちゃんと大人になれたことの象徴で、良かったんだけど、演出意図はよく分かるんだけど、どうしても「長らくシンジを演じてきた緒方恵美さんに、シンジとして最後の台詞を言ってほしかった」というオタクのエゴは残る。けど、あれで良かったんだよな…。子どもの頃と同じ声をしていたのでは、大人の男になったという表現が完成しないものな……。

とりとめなく挙げてきたけど、本当にぐっときたシーンがいっぱいありました。
あ、あのピンク髪の若い女子が巨大な綾波見て「なにこれ、変!」みたいなことを言ったの、はっとしましたね!
あのピンク髪は、(メタ的には)新劇場版からのエヴァファンですね。いやーー本当だよね、俺らEOEで見慣れちゃったからでっかい綾波出てきても今更驚きゃしないけどさ、普通「なにこれ、変!」だよね。よくぞ言った!と思った。あの子の素直な感想、大事にしたい。

なんかもう本当にいろいろあって、途中のシンジ対ゲンドウの初号機対決がクロノトリガーとかちょい懐かしいゲームのラストバトルみたいな演出だなと思ったのとか、シンジくんの目が紫色に光ったところで「今残テ流したらころす!!!!!」って心で叫んだ(流れなくて本当に良かった)とか、裸の首なし綾波が大量に行進してるとこのCGがクソ安っぽくてなにあれと思ってたんだけど、EOEと同じCG使ってたらしくて、EOE昇華の儀式だと気づいた友人があそこで「ニチャア…」って笑ったわって言ったのを聞いて そこまでするのか…と思ったし実際そこ以外にも安っちいCGたくさんあったからもう分かる人にだけ伝われなネタほかにもいっぱいありそうだなとか、間に合わなかった訳がないのにコンテとか原画ママとか入れないといけないのかエヴァンゲリオンには…とか、本当にいろいろがありました。

でも本当に、マジで庵野秀明さんがこれでエヴァの呪縛から解き放たれて、よかったです。
いっぱい陶芸して、大好きなウルトラマンをまた撮ったり演ったりして、夫婦仲良く元気に創作し続けてくれたら、これに勝る喜びはないです。
みんなエヴァ完走お疲れ!!これからも元気に生きてこうな