新刊『神々が別れた幻想の外』解説(と言い訳)

イベントお疲れさまでした!

素敵なお手紙を頂戴したり、既刊をたくさん手に取っていただけたり、嬉しいことがたくさん起きる素晴らしい1日を過ごせました。スペースにお越し下さった皆様、ありがとうございました…!

今回の本は、(何度か言ってますが)主花で初めての全年齢本です。

わたしが主花で本出したいな!と思ったときに、当時のサークルさんみんな年齢指定のご本を出されていて、読む分にはありがてえ限りだが自分も出すとなるとハードル高いぜ…ってビビリつつ、あまり得意でないえろを書いていたわたしですけども、主花を書き続けるうちに年齢指定なしの話ってどんなだっけ???ってなるくらいえろ書くのが楽しくなってしまい、慣れってすげーなと思いました(息つぎなし)

でも今回は全年齢です。そこ何度も強調する必要ある??と思われるでしょうが、性癖をさらけた年齢指定本より、今回の全年齢本のほうがなんぼも恥ずかしい本になった…んですよ いやもう、なんていうかね…

読んでいただけた方はもうお分かりでしょうが、わたしには致命的に厨二の才能がないのだな…ということが今回よくわかりました 勉強不足です 申し訳ない…

厨二って馬鹿にしてるんじゃなくほんとね、センスだなと思いました センスは磨かないと光らないじゃないですか 磨いていないんですよわたしは 厨二のセンスを…たまに書こうとするとこういうことになりますね…ヨボ

以下、箇条書きで解説述べていきます 新刊のネタバレしかないのでご注意ください。あと、「後から解説をくっつけるのダサ。本で全部説明しろし」と思う人はここまでで読むのをおやめくださいね。そうできたら良かったんじゃがの…フウ

これ解説なしで読んだ人ちんぷんかんぷんなのでは …?という不安が拭い去れず、(ちんぷんかんぷんだった≒読んで楽しめなかった本の解説をわざわざ見に来てくれる人いるのか?とも思いつつ)ここに作者の意図を置いておこうと思いますが、わたしが狙った意図ではない読み取り方をした人がもしいたとして、自分の解釈と違った!ガーンってなったら申し訳ないです あの、全然好きな風に読んでいただいて大丈夫ですよ…!楽しんでいただけたのなら、どんな読み方をしてもいいんですが 読みながら「???」となった方の一助となれば幸いです ほんと…話読めば全部わかるような話にしなきゃいけないんですがね すみません 謝ってばっかりだな…!!

 

①ナミちゃんが唱える呪言みたいなやつについて

お察しの通りP3の綾時くんパロなんですけど、呪文のセンスが圧倒的にねえ~~~。語彙力の不足を痛感しました。

綾時くんは1つのアルカナに対し1つの台詞を話していたけど、今作のナミちゃんは3つずつアルカナを消費していて、3つのアルカナの示すモチーフをなんとなくこう いい感じに組み合わせて呪文にしてるんですけどこれを考えるのがほんっっとに苦手で、書いてるうちに一人でウワアアアアア/////ってなってしまって なら書くなよ…

多分分かっていただけるはず…と願いつつ書いてたんですが、今回のお話ではアルカナの大きい順から消えていきます アルカナが消えるとコミュが消えるので、コミュ相手は番長くんのことを忘れてしまい、力も失う という設定でした

(P4無印の)一番最後のアルカナ【世界】は、コミュがなくてペルソナは伊邪那岐大神だけなのですが、このお話の番長くんは伊邪那岐大神を召喚するに至らないうちにナミ様に攫われてしまったので、【世界】のアルカナを持ってない(けど一番最後に覚醒する)ということで、一番最初に消えたのは【審判】でした

3つずつ後ろから順番に消えていくと一番最後に残るのがアルカナⅠの【魔術師】で、オーラスが0の【愚者】で、愚者までいくと番長くんの存在自体が消えて黄泉の国に行っちゃうよ、という話でした と解説しないとわかんねーよな!すみません

 

綾時くんの「そのアルカナは示した」をパロったのは、P3の「ニュクスによって世界が終わる」っていう超かっこいい厨二な設定を、P4でも見てみたかったからです(何度も言いますがこの文章における「厨二」はすべて褒め言葉です)

実際、P4でもナミ様は世界……というか八十稲羽……八十稲羽を滅ぼすと世界が破滅するのか?ということは疑問ですが、まあその 人間の住む世界を終わりにしちゃおうとは思っていたわけなんですよね多分 だから世界を救うためのラストバトルはP3とテーマは同じなんだけど、あの綾時くんのような一個一個アルカナを取り上げて解説して…っていう演出はP4にはなかったので(代わりに、コミュマしたアルカナの持ち主が一人ずつ出てきて呪言に囚われかけた番長くんを励ましてくれる あれも最高の演出です大好きです)、P3の、タロットモチーフにのっとった演出入るのめちゃめちゃペルソナっぽくてイイナ~~~と思ってて それでその、綾時くんと同じように世界(≒番長くんを中心とした八十稲羽という世界)を終わりにしちゃおうとするナミ様 にしたかったわけなんですけれども、これがまあムズい 本当に 照れてる場合じゃないのに照れてしまうし

難しい言い回しとか物の正しい名前とか、小説書く上でそういうギミックの部分を疎かにしてきたツケが出ました 本当に勉強不足としか お恥ずかしい限りです

まあ反省ばっかしてても読んでる人つまんないから次に行きますね ほんとすみませんこんなんで

 

②名前について

今回はじめて、個人誌の主人公名を「鳴上悠」にしました。

今まで出したわたしの本の主人公名はすべて「月森孝介」でした。実は、オンラインで(pixivとかワンライとかで)書く話の主人公は鳴上悠、本で出すなら月森孝介、っていうセルフルールをもうけていたんですよわたしは 誰も気づかないと思いますけど

鳴上悠という名前はすごくきれいな響きでもちろん素敵なんだけど、P4Aで描かれた主人公像をどうしても引っ張ってしまうので、ゲームのP4の主人公くんだよ、っていうことで月森孝介にしていたんですよね この名前も(偶然とはいえ)「花村陽介」と対になってるみたいでとても素敵だし

で今回セルフルールを破って鳴上悠にしたのは、「名前」が鍵のお話にしたかったからです 陽介が「鳴上悠」と呼ぶことによって、悠が自分の名前を思い出し、存在を取り戻す(アルカナを奪う→記憶を奪う→名前を忘れる→存在を失くす)という流れを書きたくて…

それで、あのP4A12話、伝説の主花回 ボイドクエストでの「悠――!!」で初めて陽介が下の名前を呼び、囚われた悠の手を取って現実に戻す、っていう名場面となぞらえたかったので…そしたらやっぱ主人公名は 鳴上悠だよね ていう あの、そういうあれでした

 

③クマは何故消えたか

他の人は忘れるだけなのにクマだけ消えたのは何故かというと、原作ゲームの11月ともリンクするんですけど、クマはその存在自体が異世界の産物だからです

クマは元々テレビの中に棲んでいたシャドウだったので、アルカナが消えるイコール存在が消える、忘れられるということはクマにとって(人の無意識で形成される存在であるシャドウにとって)存在の消失とイコールだ という解釈でした

最後にクマが陽介の部屋にいるということは、異世界ごと元の世界が戻ってきたということなので、他の人たちも皆記憶を取り戻した とお考えください

 

④ナミ様の目的

これはわたしの解釈なんですけど、ナミ様は今回のゲームに際して「イザナギの名前を冠するのに相応しい者探し」ていうか旦那候補競わせゲーム、みたいなことをしていたのではないかという えっと こう書くと無茶苦茶雑なんですが

自分を棄てた(黄泉国に置き去りにして逃げた)旦那に対して呪ってやるーみたいな恨み言を言ってたナミさまが、ペルソナ4のお話では外から来た3人の男たちを選んで異形の力を与えるわけですけど、その「異形の力」というのがイザナギなんですよね

番長くんはイザナギを、足立さんはマガツイザナギを使えたけど、これは(わたしの解釈では)番長くんが他の子たちと同様に自分の心の鎧としてイザナギを顕現させた というんではなくて、イザナミイザナギの形をした力を彼らに与えて競わせた結果、それぞれが元の力の因子を育てていって番長くんの場合は伊邪那岐大神になったし足立さんだとマガツイザナギに成った(生田目さんはイザナギの形を成すまで至らずにブロークンした)みたいなことだと思ってて…

だからナミ様は真エンドで、まさか自分が因子を与えた番長くんが、想像以上に育ちすぎて自分を倒しに来るまでになるとは思ってなかったので「人の子よ見事なり」って言ったのかなと思ってます

で、真エンドに至らなかった(2回フードコートに寄らなかった)番長くんが都会に帰ってこうとしたタイミングで、「よくぞイザナギを名乗るのに相応しい男に育ってくれたね よしよし」っていって、うまいこと育ったイザナギを(番長くんごと)黄泉国に連れ帰ろうとした のが今回のお話になります 長!

つまり旦那ピックアップガチャを回して出たSSRが番長くんだった みたいな話です 言い方

 

⑤結局イザナギはどうなったん?

真エンドだと番長くんはアルカナ(絆)の力で幾千の呪言を受けても踏みとどまり、イザナギ伊邪那岐大神にパワーアップさせた上で幾万の真言でもってイザナミを打ち倒します なぜこれができたかというと、アルカナ(絆)の力があったからなんですね

今回の創作ノーマルエンドルートだと、ナミ様は番長くんの育てたイザナギと一緒になるために、余計な要素…アルカナを一個ずつ削いでいきます 正しくは3つずつか

まず番長くんから「鳴上悠」であることを奪い(忘れさせ)、そこから1つずつ絆の記憶も落としていく そうすると町にも影響が出て… 最終的に番長くんが黄泉行きになると、八十稲羽も道連れになる。デス=ニュクスが世界を終わらせようとしたみたいに

その影響が出て、ニュクスが近づいたのと同じ現象として霧が出たり、記憶を奪われた人々が無気力性になったりした(戦車アルカナが消えた千枝ちゃんがなったのは無気力性です)

で、陽介に呼ばれて自分は鳴上悠だ!っていう記憶を取り戻した番長くんは、陽介を連れて黄泉国の入り口(ちょうど神話でイザナギが黄泉国に行ったイザナミに会った辺りの場所 というイメージ)から黄泉平坂に戻る最中、ナミ様に追いつかれてアカン詰んだってなるんですけど、そこでイザナギが助けてくれるわけなんですね

というかその前に、一番最後に呪文(女教皇と魔術師の中途で止まっちゃうやつ)を唱えてたのはイザナミじゃなくてイザナギなんですけど、ちゃんと伝えられているのか…?

伝わってない前提で解説すると、イザナミはあの時、陽介に見つかって陽介と喋ってたので番長くんのとこにはいないんですよね でももう番長くんの中にいるイザナギは妻と共に黄泉へと下る覚悟が決まっているので、最後のアルカナを自ら払い落そうとした。それを陽介が横やり入れて邪魔した、落とそうとしたアルカナの持ち主が自ら邪魔に入ったことで呪文は中断され、陽介が「鳴上悠」を呼んだことで悠も「自分は鳴上悠だ、イザナギじゃない」ということに気が付いて、悠からイザナギが分離してイザナミと共に去っていった という感じです 自分で解説しながら「分かる訳がねえな」と思いました すみません

 

イザナギと分離した悠

あとがきに書きましたが、この本で出したわたしの結論は「ノーマルエンドの番長くんはペルソナが使えなくなる(けど、仲間たちと仲良く幸せに暮らす)」です。

ので、UとかU2とかDとかの世界線には繋がりません 八十稲羽と番長くんが健やかであれば良し の精神です

マガレさんがご挨拶に来たのは、ベルベットルームをもう利用することがなくなるのでお別れの挨拶のつもりで来てくれたんですね マガレさんは、キタローくんの死後ふらりと旅立ってしまった妹のざべっさんの気持ちが(P4ゲーム開始時点では)理解できなくて、でも番長くんと1年を過ごすうちに、お客人の運命に引き込まれていったざべっさんの気持ちがようやく分かった という感じで書いたつもりです

あの後番長くんと陽介は付き合います ていうか元々両片想いでした 陽介の「行くなよ、好きなんだ」事件が衝撃的だったので、本当は付き合ってる二人の話にしようと考えていたのを、無理矢理両片想いに修正しました

なのでラストの陽介の告白を、例の没台詞と同じにしました 行くなよ好きなんだのことをずっと考えていたい……

 

⑦宝珠

トゥルーエンドルートで、イザナミとの対決前にベルベットルームでイゴールから渡される宝珠を、今回マガレさんから陽介に(どこにも行きつかない電車の中で)渡しています。

P4のゲーム内では、基本的にベルベットルームは中立というか、番長くんにペルソナ合体とかの協力はしてくれるけど、直接運命に干渉することはしない…番長くんが選んだ選択を見守るだけ、というスタンスだったと思うんですが(迷い込んできたクマと引き合わせてくれたことはあったかもしれないけど)、あの『宝珠をイゴールから番長くんに渡す』というアクションは、イザナミさんの想定を超えた干渉だったんじゃないかな、と思っていて… あの宝珠がないと、イザナミの正体(第二形態)は暴かれなった訳なので

そもそもP4の話の中で、イザナミとベルベットルームの力関係ってよく分かってないんですよね…これについて考えてくと頭がこんがらがっていくんですけれども そもそもイザナミのことがよく分かっていないんだわたしは イザナミは本当に伊邪那美命なのか…?集合的無意識に存在している「人が思う神」が顕現した姿なのか…?それとも、クマが自分をクマだと(愛されたいがゆえに)認識しクマのガワを構成したように、自分をイザナミだと認識しているただのシャドウ的存在なのか…??

わたしは解釈は一つではないと思っていて、この本のイザナミは本物の神的存在ということになっていますけれども、別の本だとそうじゃない解釈で書いてることもあるかもしれませんので、今回はこうなんやなでお考えください 

話を戻すと今回はイゴールが番長くんに宝珠を渡さなかった代わりに、マガレさんが陽介に宝珠を渡しました 宝珠の効能よく分かってないけど、多分イザナミの化けの皮を剥ぐ(真実を暴く)ためのものだろうという気持ちで書いています

 

 ⑧神話関連

日本神話の解釈については完全にあの話に合わせた形で今回考えたものなので、あまり詳しい講釈はできませんしにわかですみません、お恥ずかしい限りです ウィキペディアで調べたくらいなので全然そのー、専門的な知識は全然ありません(あ、ウィキペディアには先日寄付しました)

でも前から思ってたんですけど、オルフェウスの冥界入りの話とイザナギの黄泉下りの話って似てますよね なんでこの二つの話こんなにも共通点が多いんだろう??やっぱ「死んだ者はもう何をしても取り戻せない」ということが人類共通の教訓だからだろうか…

「死んだ妻を死の世界に取り戻しに行った夫が、我慢できずに妻の姿を見てしまったことで妻を生の世界に戻すことはできず、自分だけ帰ってくる」というストーリーまんま同じ 不思議…

っていうのずっと昔から思ってたので、ペルソナ3と4でそれぞれのモチーフが使われてることを知ったとき「これ似てて不思議ーと思ったのわたしだけじゃなかったんだ!」ってちょっと嬉しかったんですよ やっぱ似てるよね

で新刊に話戻すと、菜々子の夢の話はどちらかというとギリシャ神話のオルフェウスの方に似ている気がしています それはわりとわたしの意識が、この話の共通点の多さに引っ張られているから…(言い訳)

隣にいる、繋いでいる手が本当に陽介か?と疑わしく思って確かめようとするところも、どちらかといえばギリシャ神話の方に似ていますね

とにかく死の世界においては、相手の顔を見ちゃいけないのは鉄板らしい

ペルソナ3の世界は「ニュクスは死であり、主人公の身体の半分は死だった」→「死と共に生きる、死を想うこと(メメントモリ)」というテーマになっていて、ペルソナ4は「真実を見極める」ことがメインテーマだけど、この2作は対になっているので、ペルソナ3でいう「すぐ側にある死」という存在が、ペルソナ4だと「主人公たちを俯瞰し続けているイザナミ」が死の世界とのリンクだったのではないかな…と でもキタローくんが死を身体に飼い続けた存在だとしたら、番長くんは生の化身を宿した主人公なんだな…エモ……

 

いろいろ書いたけどまだ分かんないとこあったらそっと訊いてください 怖い言い方をせずできるだけ優しく訊いていただけたら有難いです 回答できるようならいくらでも答えますので っていうかほんと、本だけで読み取れない部分が多数あってすみませんでした 気合い入れて書いたんですがあまりにも背伸びしすぎのテーマだったかもしれません 今後も精進します

ここまでまとまらない文章を(そしてまとまらない本を)お読みくださりありがとうございました!