成就した恋愛に商品価値はないのか?

…というようなことについて、最近ずっと考えてたのでちょっと文にしてみる。

 

多様化した価値観を受け入れて進む現代において、物語のありようも変化してきたなーと思う。旧世代的な価値観を押し付けてくるような物語は拒否され、みんな違うことを当たり前とするような空気の流れる物語が好まれるようになってきている。

その中で、物語の中の恋愛の取り扱いも、少しずつ変容している。

かつて、物語の中での恋愛(あるいは、恋愛を主軸にした物語)は、成就イコール終焉だった。シンデレラの苦しい日々は終わり、王子様と結婚して幸せになりました。めでたしめでたし。恋愛の成就によって物語は終わりを告げるものだった。

主人公が苦しい時期には、ドラマが数多く展開される。起承転結の中で、好きな人と結ばれることは間違いなく「結」であり、「結」でしかなかった。恋愛もののマンガや小説やドラマやゲームの、一番面白いところは片恋の苦しさであり、ライバルの登場であり、思いが実りそうで実らないもどかしさである。……と、長年わたしも思ってきた。

恋愛マンガを読んでいると、意中の人に主人公が告白をしようとする(≒恋愛が成就しそうになる)と、なんだかんだと邪魔が入り、なかなか想いを伝えることができない…という展開をよく見ることがある。

そうやって告白を引き延ばすのはどうしてか? もちろん、告白が成功すると、起承転結の「結」が来て物語が終わってしまうからだ。主人公の恋愛の成就は、イコール物語の終わりだからだ。

或いは、主人公の恋が実り意中の人とカップルになった途端に、もう描くべきドラマがなくなり、主人公の友人の恋愛話にシフトする…という展開もよく見る(少年マンガより、少女マンガに多い気がする)。なんならそのまま、主人公の友人、主人公と意中の人を競った元ライバル、意中の人の親友…なども絡めて、それぞれの困難を乗り越えながらそれぞれに恋愛を成就させていくこともある。

でもぶっちゃけ、一番面白かったのは主人公と意中の人の恋愛だ。読者はその二人がくっつくかどうかに一番興味があったわけだし、主人公に一番感情移入していたのだから。けれど、その二人の恋愛劇は「ゴールしたもの」と見なされ、一旦脇に置いて、別の人の別の恋愛劇を、ハラハラドキドキ描いていく。

 

何が言いたいかというとつまり、それらの作品では恋愛の成就はゴールであったのだ。

そして、物語における恋愛とはそういうものだと、わたしも思って生きてきたのだ。

けれど最近、そうではなくなってきた。成就した恋愛の続きを描く物語が増えてきているのだ。

 

もともとわたしたちは、成就した恋愛の続きが知りたかった。あの二人が結ばれたあと、どんな風に暮らしているのか。どんな場所にデートに行き、二人でどんなものを食べるのか。二人でどんな部屋に住み、どんな話をするのか。どんなことでケンカをし、どんな風に仲直りするのか……それを見たいと思っていた。

その「見たい」を叶えてくれる二次創作を愛した。めでたしめでたしの後、幸せに暮らす二人の物語の続きがいくらでも見たかった。二次創作はそういった作品で溢れていた。

成就した恋愛にも、商品価値はあるのだ。そのことをわたしたちは知っていた。けれど、物語を作る側の人たちに、その需要はなかなか伝わらなかったように思う。

 

きのう何食べた?』はドラマ化される前から人気マンガだったけれど、ドラマになった途端、センセーショナルなヒット作として受け入れられた。

あんなにごく普通の、当たり前の日常を描いた作品のどこがセンセーショナルだったのかというと、主人公のゲイカップルが最初からカップルとして成立しており、作中ほとんど二人の関係が揺らぐことのないまま、当たり前に続いている日常を描いているところだと思う。

彼らの恋愛は物語の始まる前から成就していて、物語の主軸ではない。ゲイが主人公というだけで、ドラマという媒体ではセンセーショナルであるにもかかわらず、だ。

けれど普段マンガに親しむわたしは、『きのう何食べた?』を特にセンセーショナルな作品とは思っていなかった。なぜかというと、わたしは二次創作を読むからだ。そして、よしながふみ先生は二次創作の同人誌から出発した作家さんであることを知っていたからだ。

二次創作には多くある、成就した恋愛のその後の物語。それを一次創作に置き換えると、こんなにもセンセーショナルな作品になるのだ、と見通せたよしなが先生のご慧眼はさすがだと思う。

当たり前の日常は、それだけで十分な娯楽である。かわいい登場人物の当たり前の日常を、わたしたちはただ愛でていたい。オタク文化の中に、そうした作品は数多く存在する。女性向けでも、男性向けでも。

戦いも恋愛のいざこざもない、ただ流れる穏やかな日常の物語は、わたしたちに癒しをくれる。もちろん戦いの物語も恋愛の物語も必要だけれど、「平和な日常」だって立派なエンターテインメントなのである。

 

『あせとせっけん』というマンガでは、主人公の女性会社員が一話冒頭で出会った男性会社員と、一話の中でもう恋愛関係になる。そこから始まる物語では、恋人になった二人が少しずつ関係を深めていく様子が描かれる。社内恋愛ならではのドキドキや、休日デートの様子や、それぞれの家族に初対面する緊張や、同棲に至るまでのやりとりや……。

その二人の様子をわたしたちは、ニヤニヤしながら眺める。恋敵が現れて二人の仲をひっかき回したり、二人のどちらかが浮気しそうになったり、みたいなハプニングは訪れない。平和な日常を描くだけで読者は、十分に楽しめるのだと教えてくれる。

ちなみにこちらも『何食べ』と同じ週刊モーニング連載だ。モーニング編集のご慧眼もさすが、である。

 

成就したカップルの片方をすげ替えてシリーズを続投するドラマがいろんな意味で話題になったけれど、きっと「成就した恋愛には商品価値がない」と作り手側が思っているから、人気作を継続するためにはそうするしかないと考えて起きたことなのかな?と思った。

作品の在り方は、いろんな形があっていい。恋愛が成就するまでを、ドキドキしながら見られるような作品も変わらず存在していてほしい。けれど、成就した恋を引き裂いてまで、物語を無理矢理こじつけようとしなくたって、ただ普通につきあってるだけの二人の物語にもけっこうな数の需要があり、そしてそういう物語は既に生まれヒットしているのだよ、ということを作り手側にもっと知られたらいいなと思う。

作り手の都合でカップルを引き裂くようなことは、もうしなくていいのだ。

新刊チラシの裏『世界を変えさせておくれよ』

アナコンお疲れ様でした!!

当日はたくさんの方に新刊お手にとっていただき、お話もたくさんできてとても楽しかったです!!

モブ花出したらなんか石とか投げられたりするのでは…とか、誰にも手にとってもらえなかったら寂しいな…とか考えてたんですけど みんな結構モブ花好きなんですね!?安心しました

ご期待に添えたかどうかだけが心配です

 

いえね。脱稿直後は躁状態で「新刊最高やん…」ってなっててそのままイベント突入して、「みんな新刊楽しんでくれな!!!」って最高にハイってやつになってたんですけど

昨日くらいから揺り返しがきて「あかん…回収して回りてえ…」って鬱状態ですなう

このテンションで反省文書いたらあかんやつなるやつ…けどもっとも反省文をまとめたいタイミング…

なのでほんと 金出して買った本を書いたやつが反省してるっていう誰も得しない文なんですけど こういうのを書くことで自分を戒め次に繋げたい所存…

これを読んでもなお もし!もしも!「そんなことないよ!わたしは好きだよ!」って思ってくださる優しく器の大きな方がいらしたら、ほんの一言でも構いませんのでそっとよかったと言ってくださると救われます

(さっそくマシュマロ下さった優しい方本当にありがとうございました 嬉しくて嬉しくて毎日見返しております)

ではぐだぐだ反省文 以下より!

新刊ネタバレまくりなので自己責任でよろしくです!

 

 

まず誤字脱字が今回本当にひどい

毎作1カ所は必ずあってしまうんですけど、今回はすごく多い…自分史上一番多い…

書きながら読み返して修正は随時しているんですが、今回本当に本当に時間がなくて(言い訳:仕事が忙しくまた仕事に集中して帰って原稿やる気力がなかった)、ギリギリ入稿になったので、印刷して読み返す時間がとれなかった。

PCとEvernoteつかってスマホで読み返しはしていたけれども、それだけだと絶対に見落とすということが今回分かった

特に後半の時間がなくなってからの誤字脱字、言葉の重複、てにおはのミス、!?と!!が縦中横になってない などが多すぎて見つけるたびにぬお~~~って叫んで床を転げ回りました

次作以降はどんだけ時間なくても印刷して確認だけは絶対しようと心に決めた

ていうか最初は文庫サイズにするつもりだったから、それもあって印刷の手間を省いてしまったんやな~~結果最悪

これは凡ミスなので以後気をつけます

 

要らないシーンが多い

モブレのあとお清めまでが長すぎる!書いてる最中は必要なシーンだと思ってたけど、実際通して読んでみたら冗長だし別にそんなくどくど説明する必要ないやんってなった

通して読んでみるのは絶対に大事…細切れに確認はしていたけれど、細切れではここまでひとつひとつの場面の繋がりがないことに気づけないものなんだ…

こんな工程すら怠ったのかと思いますよねほんとすみません 本当に時間なくて…駄目ですね… 話が長いぶん、余計に気を遣わなければいけなかったのに

とりあえず月森くんの部屋が云々の場面は明らかに削るべきだった…

なんかね、わたしは番長くんをごく普通の男の子として、ちょっとダサい・ちょっと格好悪いくらいに書きたがる(そういう番長くんが好きだから)んですけど、あそこなくても充分空の堂島家だけで落ちてるんだからそこから自分がいかに情けない駄目な奴かを語らせる必要なかったよね…

実際いつも書いていて微妙な、要らないシーンとか変えるべきシーンて一度は必ず発生するんですけど、いつもそれを確認して変えたり削ったりする時間がとれてたんですよね そんで「あ~あの没シーン入らなくてほんとによかったわ」って思うんですけど、今回時間なくてそれがまんまと入っちゃった感じですね…

落ちた陽介を救い上げるのに時間かけるのと、陽介が番長くんの力になって二人が相棒に戻るっていう流れ自体は悪くはないのだが、無駄な場面が挟まることによって悪くないはずの流れが悪いもんになってしまっている

本当は時間かけて無駄シーンを書き上げてから削るのではなく、ある程度書きながら無駄に気づくべきなのだけど、その癖(一度書かないと無駄に気づけない)は昔からずっとなんだよな~~持病なんよな~~~

つまり:プロットの時点でしっかりしておかなければいけない

プロット自体は作ってあるんだけど、プロット中でざっと流して書いてあるところが主に悪いところなので 詰まったり筆が止まったらプロットを詳細まで詰めるという工程が必要なのだ 多分きっと

思いつく楽しいとこばっかるんるんプロット切るから駄目なんだよ それプロットって言わないから!書きたい台詞の羅列とかだから!

プロットの切り方一回ちゃんと勉強したほうがいいなあ

 

でも モブレ書くの楽しかった!!!!!!!

けどもっと何回も犯せばよかった!!!!!!!!!!!!!

モブレ書きたいし買う人も多分モブレに期待してるんだからもっと何回もレしよ!!!!!!!一回だけで終わりじゃガッカリだよ!!!!ねえ!!!すみませんでした!!!!!!

その一回はめちゃめちゃ頑張ったんですけどね…自分史上いちばん濃厚なえろシーンだった はず… 桂+主花と同じかそれ以上に気合いが入っていた

ただむつかしーんだよなー ローションなしで入るんか?とか陽介ぜんぜん準備してないけどいいんか?とか けど準備させちゃ意味ないし なんつーかそういう細かいことはファンタジーでいいんですけど 3Pてふつうにむつかしいネー

まる一日かけてモブレシーン書いて、めっちゃくちゃ長いエロシーン書いたぞ!!と思ったんだけど読んでみると普通にえっこれで終わり?ってなるからえろはたいへん

えろだけずっっと書ければいいんだけど体力と気力と集中力がめちゃめちゃ要るんだよな あと語彙力な 同じ単語何回もつかっちゃうしな 竿とせーえきのよびかたもっと増やしたい 「妖艶な」とか何万回も出てくるし もっと おで 言い方… ふやす…

濃厚なすごい長いえろシーン書けるひとすごい 集中力の鬼ですよ 慣れ?なの??

書くのはくそ楽しいんですけど もっと体力をつけます 体力をつけて花村くんをおかします

せっかくレができるとこまで落としきったんだから そこから更に地獄を見せたかったなーーー番長くんにも見せたかった…モブレされてるようすけを 目の前で…

 

ただ なんかこうこだわりとして「悪いことしてないのに可哀想な目に遭う」のが好きなので、

こんなことしたらレされても仕方ないじゃんとか ここまできたらおかしいって気づこうよ とか なんていうか キャラが愚かに見えたくないというか モブ2人以外は全員まともに見えてほしかったていうか ツッコミどころをなるべくなくしたくて そこを優先したら番長くんは陽介が男に惚れられてることにすぐ気づいてしまうし気づけば止めに入ってしまう… バランスがむつかしい

 

刑法とかの関係はよく分かりません すごく適当に解釈して書いてるので本気にしないでね!(そこは開き直れる)

あと小夜子さんと堂島さんが ちょっとはかっこよく書けてたらいいなーと思ったりなどした 毎回ゲスト的なコミュキャラがいるけど今回は小夜子さんですね

悪魔コミュすき 小夜子さんがいれば毎回陽介を酷い目に遭わせても大丈夫だね!!!信頼のナースコミュ

今気持ちが落ちてるので どこか気に入ったとこっていうと あんまりどこも…ってなってしまいそうなんだけど モブレまでの流れはやっぱり書いてて楽しかったしわりとよく書けている気がします モブレ自体も楽しかった

みなさんわたしは愛のある強姦が見たいんですよ レするモブが陽介くんのことかわいい好きやばい犯すって思っててほしいんですよ そういう理想は詰めこみました

あと言葉責めが大好きなんやなー だからこうひどいことバンバン言われるけど それは言葉責めみたいなそういうやつが 書きたかったので書けて満足!

モブ花またリベンジしたいなーーー 今度はモブおじかなーー

ぺよんだと救済ルートは法王コミュと悪魔コミュの活用以外見えないんですけど、ぺごだったらぺごくんが改心させてくれるからそれもいいな

けどここまで頑張ってちゃんと解決しなくていいんだ本当はきっと… 大事なのはレであって 正しい救済の仕方ではないのだ たぶん

普通に番長くんがモブをボコって仕舞いとか 救済をはしょってみたりとか 今度書くならそういうやつにしたいです モブ花ほんと楽しかったしまた書きたいマジで

今回は力一杯救済したけど それが良かったかは現時点ではあんまり自信ない!

書けて良かったのは、レと、陽介くんのナカを番長くんが掻き出すとこと、レされながら番長くんを想ってきもちよくなっちゃうとこと、あと花村くんへの想いを拗らせたモブです

なーんだけっこうあるじゃーん

まとめてみてよかった…楽しんで書けたことが思い出せてきたぞ

 

あと!追記なんですけど、

花村くんが番長くんちに一人で行くとき(部屋の下り)、もともとは、花村くんが番長くんに身体を捧げようとして拒まれるっていう展開を少し考えてたんですよね 長くなりそうだしせっかく浮上した陽介がまた落ちてそこから主花成立に繋がらなさそうだからやめたんですけど

性癖的にはそういうのも好きなんですよ もう陽介的には自分の操の価値なんて底辺だから そんくらいしか自分にはあいつを慰めてやれそうなことないなとか考えてしまうっていうやつなー

 

がんがん追記してしまうスタイル

今回のタイトルはもちろんサンボの名曲でございますよ

仕事がくそ忙しくて心折れそうになる中サンボばっか必死に聴いて頑張ってたので、今出す本のタイトルはサンボにしたいなーと思ってたんだけど、冷静に考えて合っているのかどうか?冷静に考えたら負けだね!

イメージ的には、番長くんが陽介くんの世界を変えさせてほしいと思うところが出発点なんだけど、そう思って行動しているうちに結局誰かのために行動することって 自分で自分の世界を変えていくことにつながるから、一方的に救われるんじゃなく 自分の手で世界を変えたいから頑張ってるところをそばで見守っていておくれよ みたいな!ことが!言いたかった!

結局最後は自分で助かる(世界を変える)しかないみたいな いい曲だな~~~また聴こ…

他のタイトル候補としてはサンボだと『マフラーの揺れる間に』が歌詞的には合ってたんだけどストーリー上マフラーを出せそうな感じがしなかった(こじつけるならジライヤ?)というのと、あとふつうにモブ花だから『斜陽』『日没』『日食』みたいなのも考えていました

時間なくてタイトルいつもびゃっと決めちゃうんだけど、今回はサンボにほんとうに助けられた これからも多分曲縛りが続くと思います

 

なんかほんと 気に入って下さった方には申し訳ないくらいぐだぐだなんですけど

次も頑張ってよりよいものを作っていきたいので 今回はこんな感じでご容赦ください

繰り返しますがここはチラシの裏なので…独り言だと思ってやってください

ご感想など頂戴できたらなにより嬉しいです ではまた!

チラシの裏『今夜、はまぐりホテルで。』

気付けばイベントからゆうに2か月ほど経ってしまっていた。

しばらくイベント出る予定ないのでのんびり支部の更新やSS名刺など書きつつ酒を呑んだりゲームしたりしてたら2か月なんてあっという間ですよ。Jリーグも開幕したし1年なんてすぐだすぐ。桜も開花したし、もっと遊ばないといけない。そのために、出した本の反省会をして次の本へのモチベーションを上げていきましょう。もう若干忘れかけているけれども『はまぐりホテル』です。主花両片想い。

 

主花に限らず両片想いが本当に好きなんですよわたしは。

ジャイキリでも同じ構成の両片想い本(攻めと受けそれぞれの一人称で交互に話進めるやつ)出したことあるんですけど、やっぱり楽しかった~~両片想いはいい。

両片想いの肝は、お互いに「片想いだし告白なんてしても上手く行きっこない」とか「この想いが相手にバレたら今の関係が壊れる」と思い込んでて、読んでいる人が「お前ら両想いなのにもどかしいわ~~早く付き合えよ~~」って俯瞰でもだもだするところなんですけど、当たり前だけどこの「もどかしいもだもだ」を感じていただけなかったら、両片想いである意味がないんですよ。大事なのはもどかしさ。そう、MO・DO・KA・SHI・SA!!

でも結局登場人物の二人以外(つまり読者、と筆者)は両想いなの分かってる訳ですよ当然 つまりそのすれ違いをもだもだしながら楽しめるように、そしてイザ告白ないし相手も自分のこと好きかも!?って分かる(両片想いの「片」が取れる)場面に来たとき、一番カタルシスを感じられるようにしないと予定調和で終わってしまう気がするんですよ

前述の、前に出した両片想い本(もう4年も前だった すごい)のときには、とにかく辻褄を合わせるのに必死で…受け視点で「攻めの気持ちが見えず、もうこの恋を終わりにする覚悟を決めた」描写の後に、同じ場面で攻めが(受けからは分からなかったけど)本当はどんなことを考えていたのか、そして受けから一方的な拒絶を突きつけられて、片恋が破れたと感じてどうするのか……みたいな感じの、起承転結の「転」の部分が一番難航して、要は風呂敷のたたみ方に苦心した訳なんですけど、

今回の本だとその「転」の部分――本の内容で言えば、月森くんが陽介に告白しようとして陽介がそれを彼女ができた報告と勘違いして、悩んだ結果陽介から告って終わりにしようとするとこが、一番書いてて楽しかったですね。前苦労したところが今楽しめるっていうのは、曲がりなりにも成長しているということでいいのかな…?そうだといいなあ

片想いの葛藤書くの本当に好きなので、失恋したと勘違いしてそれぞれに落ち込む場面は書いててとても楽しかった 陽介は舞い上がりそうになった自分の愚かさを自虐してへこむし、月森くんは自分の汚らわしさに内罰的になるっていう二人の対比も自分で考えててんん…楽しい…ってなった…もだもださせるのが大好き だけど読んでくれた人がもだもだしてくださったかどうかは謎…

同人誌なんて趣味で出してるものなんだから自分が書いてて楽しきゃそれでいいのかもしれないけど、せっかく本なんていう形のあるもんにしてお金を出して買っていただくんだからそれなりに鑑賞に堪えるもんにしなきゃと思うし歴史と伝統ある名門カプ主花の名に恥じない話書きたいそれなりに…

あとは終わり方に苦労しましたね オチらしいオチがなく終わったけど、もう二人が付き合ってえちーしたらもうやることねーな!はいめでたし!了!みたいな感じでさっと終わらせてしまった今回

今回太陽コミュの松永綾音ちゃんをゲストに迎えた感じだったんですけど、わたしはペルソナ4のコミュがとても好きなので今後も主花を軸にゲストを迎えていきたい気持ちです 小沢さんも…いいよね… あとエビちゃんすごく好きなのでエビちゃんも是非書きたい

ところで本当にはまぐりって防音大丈夫なんですかね?なんかわたし最近喘ぎ声がうるさめになってきてて(多分オメガバースを書いた弊害なんだわ…自分でも分かる)、今回ちょっと陽介くんに風呂場であんあん言わせすぎてしまった気がするので、なんか隣の部屋とか…大丈夫だったかな…修学旅行で周りの部屋みんな同級生とかなのに…ってちょっと心配になった 元ラブホだし大丈夫かなさすがにそこは

今声を出しちゃいけない主花えっち話書いてるのでそれで少しこの傾向を修正していきたい

あとえろシーンについては、さすがにおなに書きすぎでしょ自分…って恥ずかしくなってきた 性癖が分かりやすすぎて自分で引く みんな呆れてるのでは?って気がする ついてきてください(小声)

なんか…えろがしつこくありませんか大丈夫ですか 本当に不安です あのね…こんなところで言うのもなんなんだけど穴に舌捻じ込むのも好きなんですよ…DKの初えっちでいきなりプレイが濃厚すぎませんかって自分でも思うんだけどなれそめばっかり書いてしまうから仕方ないんやなー 本当はつきあってください→はい→ハグ→ちゅー→(3か月後)初えっち くらいのペースでいってほしいんだけど、なれそめが書きたい気持ちとえっちをさせたい欲とが同居しているので仕方ないんだな~~ だってラブホで付き合って下さい→はい をしたんだから仕方ないじゃないか~~~

視点変更で陽介視点からすけべ行為が始まり、途中で月森くんに視点がバトンタッチして、さー!本番やで!と思ったら月森くんでえろ書くのが意外に難しくてな…逆のがむずいかと思ったけど意外だった

一人称だとたとえば「その慎ましく閉じた蕾を~」とか表現するのおかしいやん えっうちのDK詩人すぎ…?ってなるやん それだったら普通にちんことか言っててほしさあるやん あるねん

だから陽介くんより語彙豊富な月森くんのほうがえっち単語を豊富に遣えていいかなって思ったんだけどなんかむつかしかったんですね もはやなにがむつかしかったんだか忘れましたけれども(反省会失敗)

陽介くんが詩的表現全然なしで「もーすっごい、よくわかんねーけどとにかくすっごい気持ち良くて目の前がチカチカした」とか言っててもかわいいから、そういうの言わせるの興奮しましたよね(感想)読んでる人が興奮したかは知りませんけれどね…

 

とにかくおなぬが好きすぎてちょっと気持ち悪いおなぬ芸人になってきた気がするのでしばらく本ではおな禁にしたい(ゆらぎそうな決意)もしよかったらご感想を教えてください 無理にとはいいませぬが もしぬけてるもんになってたらいいなーと思いました 人の性癖を刺したい!

今回は平和な(?)主花ちゃんだったけど、多分次の本は平和じゃない主花ちゃんになるよ!モブ絡みとかでね…ダメな人は一旦さよならだ!また会いましょう…それでは

ペルソナ3をクリアしたので

クリアしたんですよ(無印)。

無印はとにかくAIが前時代的(日本的表現)なので結構苦労しましたが、やっぱりペルソナ3は是非ゲームで体験したかったし、ペルソナ4にハマるきっかけを作ってくれた友達のオススメがP3→P3Fルートだったのと、とにかく『全ての人の魂の戦い』をゲーム内で聴きたかったので頑張りました。

やはりあの曲はかっこいいですね。曲もさることながら、影時間の巨大な月をバックについにたどり着いたタルタロスの屋上で戦うシチュエーションにもシビれました。長くて面倒なラスボス戦だったが、楽しかった。曲の力は偉大。

ペルソナ4がすごくすきなんですが、ペルソナ3はシステムやタロットなどのアイコンが同じだけで全然別のゲームといわれる通り、内容がすごい重かったですね…正直世界観が重すぎて、キャラクター一人一人への自己投影は難しかったけど、みんなに思い入れが生まれました。そうか、こういう重い出来事を乗り越えてきた子たちなのね…。

 

間違ってたら申し訳ないんですけど、個人的な考察というか考察までできるか分からない疑問?みたいな個人的まとめです。

なんでこんなことをごちゃごちゃ考えだしてるのかというと、4と5に繋がる直接的なペルソナ世界線は3が起点だと勝手に思ってるからだよ!

・桐条グループの目的は何だったのか

美鶴さんのお祖父さんがトチ狂って破壊思想に取り込まれ、10年前の実験を行ったことにより影時間や象徴化という現象が生まれたことは分かったんだけど、では後のシリーズに続くペルソナ使いの生みの親も彼ということでいいのかどうか。

元々破壊思想を抱く前の彼(というか桐条)の目的は、集合的無意識を意図して操る=ペルソナ使いを産み出すことだったのかな。ニュクスの訪れを事前に察知していたから、それを倒すための存在としてペルソナ使いやアイギスのような兵器を研究・作成(≒ストレガちゃんの人体実験)していた?んだっけ?

それともニュクスは勝手に来たんだっけ。綾時くんがキタローくんと同一化したときアイギスと戦ってたのって、アイギスはニュクス(滅び)の訪れを未然に防ぐために桐条が開発したからだよね。そのエピソードと時を同じくして、桐条の実験事故があったのは何か繋がりがあるんだっけか??

・ストレガとSEESの違い

美鶴さんがペルソナ使いとして最初の適正者となったけど、実際薬で抑制しないといけないストレガに属する彼らと、自然発生したペルソナ能力者とはどこで差がついたのか?

美鶴さんの覚醒のきっかけはお父さんを守ろうとしたこと≒死を覚悟したことだってことは分かった。3の世界でペルソナ能力を得るためには、死に向き合う必要があるんだけど、美鶴さんの出来事によってその能力制御のシステムが発見されたので、あの召喚器を桐条が開発して、ペルソナを使いやすくしたってことかな?

タカヤくんとかは見た感じ美鶴さんより年上っぽいから、彼らの犠牲を払ってるときにはそのへんのシステムがまだ確立してなくて、試行錯誤の段階だったのかな。

ストレガの子たちはその過酷な運命のために終末思想みたいなものに取りつかれたけれども、その終末思想はある意味死と向き合うことに近いから、それで何とか力を得ることはできた…けど真実向き合ってることとは違うので力のバランスが取れない??ということなのか、それとも単純に根本的な素質の問題なのか…

(以降、無理矢理3と4の世界を地続きとして考えていきます)

・影時間とマヨナカテレビ

どちらも、0時を起点としている。

3の事件が終わって影時間がなくなった後も、シャドウがいる世界は集合的無意識として存在していて、そこに人がリンクしない(観測者がいない)だけ。けど確かに存在していて、八十稲羽でそこを繋げたのがイザナミみたいな?

テレビの中の世界に行っても象徴化は起きないけど、あれは3でいうところの風花ちゃんの事件みたいな感じで、ただ迷い込んでしまった扱いになってて、もし仮にペルソナ能力を得ずに戻ってきたら、行った記憶は失われ…て…ないな。最初に陽介と千枝ちゃんテレビの世界のこと覚えてんじゃん(破綻)

ナミママが言ってたけどマヨナカテレビは集合的無意識の世界を覗く窓のようなもの。それを見れるのが0時というので、マヨナカテレビは影時間の名残みたいなものかな?と思ったんですけどね。

オルフェウスイザナギ

どちらも、死んだ妻を求めて死者の国へ降りていき、見てはいけないものを見たことで妻を得られなかった。

オルフェウスは妻の死を受け入れる(死者をよみがえらせることはできないと知る)ことが3の「死と向き合う」というテーマに繋がってて、イザナギは妻の呪い(幾千の呪言)を引き受けて生(現実)と死(テレビの中)の世界とを分かち、新たな生命を産み出し続けることにした→ペルソナ4の「真実から目を逸らさない」というテーマと繋がる???言ってて訳わかんなくなってきた 全然考察文になっていない

 

3の世界では桐条グループの大人たちがペルソナ能力の存在を認識していて、その能力の活用について考えている様子がある(のちのシャドウワーカー?)けれども、4の世界では、少なくとも八十稲羽では、ナミママが虚ろの森(集合的無意識)を渡る力をペルソナ使いたちに授けた、ペルソナ能力は神からの授かりものみたいな感じになってる。堂島さんたち現場の警官は知らなかったけど、実は警察上部などはペルソナや集合的無意識異世界の存在をある程度認知しているはず(だって桐条が知ってる訳だもの)。それが数年後、5の世界に繋がっていく感じかしら。

5の世界ではシャドウワーカーって存在しているのかしら。美鶴さんたちは、恐らく5のときには20代後半くらいになっているんだろうけれども、怪盗団のことを新手のペルソナ使いだろうな、まー色々頑張ってるみたいだからほっとくか、こっちまで世間の明るみに引っ張り出されたら困るしなみたいな感じで静観していたのだろうか。

 

後半完全に妄想になってしまいましたが、とりあえず3をプレイしたので、PQ2を楽しみつくしたのちに、P3M(劇場版)を観てもういっぺん答え合わせをして、それからP4UU2やったりしながらどんどんペルソナシリーズにズブズブしていこうと思います。以上拙い長文をお読みいただきありがとうございました 全然違ったりしてたらすみません

チラシの裏『アカサキオメガ』編

浅トラ17お疲れさまでした もう一週間経ってしまう はやい

今回の屍飲み会も楽しかったです 泥酔して食うラーメンってどうしてあんなに美味いのでしょうね

 

新刊はオメガバースパロでした。オメガバースってわたし主花でしかほぼほぼ読んだことがなくて、ジャイキリだとどんな風になるんだろうなって考えたところが起点だったと思うんですけれども、書いてみて本当にオメガバースってなんて間口の広い設定だろうとびっくりしましたね。

「ここは守らなければならない」というルールの幅がちょうどいいというか…例えばヒートの来る周期は3ヶ月に一回っていう設定があるんだけど、3ヶ月に一回来たヒートがどの程度続くのか(1日なのか1週間なのか1時間なのか)はこちらで決めていい、みたいなライン設定が、すごい都合良い感じで使えるんですよ。書いてみないと分かりませんでしたねこれは。

学生とか会社員のお話だったら仮に一週間続いてもその間ヒート休暇みたいに休めるだろうけど、サッカー選手だとそうはいかない。ここがもし仮に「1週間」と決まっていたらジャイキリではオメガバースパロは成立しませんねってなってしまうので、そういうルール幅がどの作品パロでもできるように漠然と設定されてるんだろうなーと気づいたときには感動してしまいました。

 

そういう感じで超都合よく解釈して書いたお話4編なんですが、だから4編とも微妙に細かいところが違うんですよね。これが公式設定ですよって決まってないからそんなこともできてしまう。読んでる人にとっては混乱するかもしれないけど(すみません)、書く側はたいへんらくちんでした。

たとえばヒートの重さは完全に4編で違って、重い順に

バキザキ>ユザキ>ジノザキ>タンザキ

みたいになってます。ああ都合がいい。タンザキの赤崎はヒート中にも関わらず相手を拒んだ上丹さんとも普通に会話していますね…ああ都合がいい……

こういうこと言うと粗が見えまくるのでやめたほうがいいって分かってるんですけどチラシの裏なのですみませんね(定期)

 

なので書いててとても楽しかったです えろをえろく書こうと思って頑張りました

最初主花にハマったとき周りを見渡したらR18作品かかれる方ばかりで、健全だとなんか申し訳ないなって思って頑張って無理してR18書いたりしてたんですが、実際書いてるうちにみんなでえろかけば怖くない!みんなえろが大好き!!と思えてきて好きなものを書くことにためらいなく振り切れるようになったので、いろんな沼を渡ってみることは決して悪いことではないなと個人的には思います 精進の一環

そして元の場所でも、別の沼で培ったものをスキルに変換してうまく使えたらいいのですよね…どっちで培ったものをどっちでも活かせれば最高

ジャイキリもペルソナも貪欲に二足の草鞋で歩行していく心づもりでいるんですが、その反復横跳びによって螺旋的に技術向上が図れたらいいなって企んでいます

 

しかし改めてはるさんの作品を読ませていただくと、本当に描写が丁寧で美しいですよね……原稿をいただき読ませていただいてしばし、自分の書いた話の見劣りっぷりに呆然としましたね 知ってはいたけど再確認

以前の心の弱いわたしだったら「あっ 新刊落とそう」とか思っていたかもしれない 危ないところだった…今はもう少しふてぶてしくなったので、「超見劣りすっけどしゃーねーな!これが現在地だ!みんな見て書き手のテクニックの違いでこんなに変わるんだな小説ってすげーってびっくりしてくれ!あはは」と思いながら無事入稿しました やったぜ

はるさんのお話を読んでから拙作を見返すと「我擬音遣いすぎ……ウッつらいしのう」と思ってしまうのですけども、これについては言い訳があって 擬音めっちゃ遣う上手なえろ小説書きさんのお話を読んで自分もえっちな擬音遣ってみたいなーと思ったチャレンジだったのでわざとなんですよ(言い訳しながら開き直るスタイル)

だいたいこういうチャレンジって後で読み返すと「あーこんときはこんなチャレンジしようとしてたんやな無謀やな」と思うんですけど分かっててもやっていかないと…全部吸収したいんじゃよ

(これを書き残しておくことも後への反省です)

 

全体についてはそんな感じで、あとは短編ずつ想いとかいろいろかきます

あっ 今更ですけどこの記事ナチュラルに新刊のネタバレしていくので未読の方はご注意ですよ

 

<ユザキ>

湯沢のことが好きだけどうまく告白できなくて極端な行動に出てしまうふり幅の大きい赤崎くんのお話

全編通して、この短編集の中では一番攻めくんのことが好きな赤崎ではないかと思います

一番最初に思いついたし、「オメガバースってこんな感じですよ」という紹介のような感じで一番手に置いてみました

本当はもう少し湯沢がひどい奴になるかもしれなかった 赤崎の人生で一番つらかった瞬間に想いを自覚したってところがドイヒーポイントなんですけど、それがフラッシュバックするがために赤崎をつらい目に遭わせてもそこに興奮してしまったりとか

わたし少し湯沢をトリッキーな子に書きたがるところがあって でも今回のお話ではそんなヤンデレめいた湯沢はちょっと封印しました そんなことしたらハピエンにならなくなってしまう…

一度書いてみたいですね ヤンデレ湯沢に軟禁されちゃうユザキとか(言うだけタダ)

 

<ジノザキ>

赤崎が好きすぎて極端な行動に出てしまうふり幅の大きいジーノさんのお話

「運命の番」の設定を出すにはジノザキはピッタリすぎるCPだと思うのですがどうでしょうね…(先だしジャンケン)

本作の中でいちばんましな場所で事に及んでいる(シャワールーム・遠征先のホテル・マッサージルーム・ロッカールーム) が、それでも「遠征先だから声出しちゃいけない」という縛りが付いて回っている。シチュエーションのチョイスだけでも筆者の歪んだ性癖が見えるようです 前から思ってたけどわたしのような辺境に生きるべきど腐れ者の本を買ってくださったりイラストや文章を寄稿してくださったりする方たちの途方もないやさしさよ…

ジノザキは間口の広いCPですが、わたしの考えるジノザキのサビは「普通に考えれば赤崎のことなんか相手にしないであろうジーノが」という…CP者の心を突き刺しがちな冷静さを、当事者である赤崎自身が持ち続けているところです

ジーノが自分に夢中になってるなんて知らない/信じられない赤崎と、そんな赤崎をめためたに愛してるんだけど今までの人生で相手にドップリ入れ込む経験をしてこなかったので、手練手管はあれどもストレートな愛情表現が意外に下手なジーノっていう、そういうジノザキばっかり書いてる気がするんだけど今回もそれです

この話の反省は「相手が運命の番だとジーノは気づくのに赤崎は気づかない」ところが矛盾を感じさせることです…運命の相手に出会ったらすぐにそれと気づくはずと作中明言しているのにね?

一応これには「赤崎は、特にチームにいるときにはとにもかくにもサッカーのことしか考えておらず、周囲を全員敵だくらいに思って終始警戒しているので、ジーノを見て何かしら心にざわつきを覚えてもその感覚を無意識のうちに押さえつけ見ないようにしていた」という説明を用意しているのだけど、そうならそうと本編中で多少でも匂わせなければいけないのに、こんなところで言い訳しているようでは到底ダメですね…すみません

設定の穴みたいなのはちょいちょい出てきますけど、なんかこう「まー都合よく解釈してやっか」と思って薄目で見ていただけると幸いです もっと精進しなければですね

 

<タンザキ>

最初に謝らせてください タンザキだけせっくすシーンがなくてすみませんでした!!

タンザキというよりメインはモブザキじゃん!みたいな感じのお話ですみませんすみません…でもモブザキ書くの超楽しかった…

せめてものアレでモブに挿入はさせませんでした あとがきに書いたけど、モブ攻めも書きたい読みたいんですよね…性癖

わたし丹さんを割と神様かなんかみたいに思ってる節があり、そのせいでタンザキって逆に難しくて…(赤崎の未熟を全て大いなる愛で包み込んでしまうので丹さん賛美にしかならない気がしている)

なので今回はちょっと捻った形の関係性になったのですが、それでもやっぱり丹さんに神様かなんかみたいな役割の持たせかたをしている気がする

あとがきにちょろっと書いたけど、赤崎が貧乏暮らしをしているのって今までほとんど考えたことがなかったもので、今回の設定は自分で書いてて新鮮でした

赤崎って絶対いいとこのボンボンでしょと思ってて… けどこれを書いて、「出自の不遇さゆえに上昇志向の強い赤崎」というのもアリだなと思いましたね

一番ファンタジー色の強いお話だったかもしれません モブレって冷静に考えちゃいけませんのでノリと勢いで書きました できればついてきてほしい!

 

<バキザキ>

往年のわたしの想いを昇華しました オメガバースでか!?って感じもするけど、オメガバースという「先天性の特性」という言い訳ができる環境でこそ、痛すぎて普段なら書けないことが書けました ありがとうオメガバース

もう本編ではどんどん椿が羽ばたいて、赤崎はすっかり置き去りにされてしまった感がある(あーーー痛い!書いててつらい!!)んですけれど、二次でこの二人を描くならもうがっぷり四つで組むしかないと思ってて…

椿と共に赤崎が歩んでいく、肩を並べることはちょっと難しいかもしれないけど少しでも報われる選択は…と思ったらもうこれしかないなって思ったんですけど、こんなことでもない限り椿より先に赤崎が海外移籍する絵図が描けない自分が情けなくもあり、けどそのへんが赤崎なのだと思いつつ がんばりました

ここチラ裏なんであれなんですけど、「お前のせいだよ」と赤崎が言い出す場面、あれは元々プロットになくて、書いているとき赤崎が勝手にそう言い出してしまって、これ収拾つくんか?っていうかこれ言わせていいんかって思いつつ、なんか…でも 書けてよかったです

あとすけべシーンも本当に書いてて楽しかった 無理矢理はいいですねーー赤崎の一人称でどすけべザキさんになるとこも楽しかったっすね オメガバースじゃなきゃこんなこと絶対言わないしさせられないもんね

 

いちばんの反省は隙間なくギッチギチにお話を詰めてしまったことで、諸々のページ調整の関係でどうしてもこうなっちゃったんですけど、短編と短編の間に少しクッションを置きたかったですね

こんだけ世界線違うのに、ギチギチに詰め込まれた話を読み手さんはちゃんと違和感なく読めたかなって不安でした 楽しんで頂けたらいいのですが

 

赤崎に愛が偏って攻めくんの描写がおろそかになってしまうのが自分で嫌なので、できるだけ生き生きとその子らしく表現しようと心掛けて書いたつもりですが、いかがでしたでしょうか

全方位に配慮することができるほどできた人間ではありませんが、今の自分にできるせいいっぱいは詰めたつもりです

えろほんを作ろうと思ったけど、作ってみたら結構いろいろなもんが詰まった気がする

またえろほんを作りたいです あと読みたいので赤崎のえろをかいた人は教えてください(貪欲)

本もこの反省文も、長文をおよみいただき、本当にありがとうございました

これからもがんばります 赤崎すき

未来のミライを観た

細田守作品は私小説だ。

細田作品には、細田監督の今の人生観と現在地が詰まっている。ほかのことは、基本的にあまり入っていない。だから世代を超えた感動や、ハリウッドのようなエンターテイメントを期待しても、だいたいその期待は肩透かしに終わる。今回の映画は特に顕著だが、元々それは、彼の作品によくある傾向だった。

細田監督が描こうとしているのは彼のごく個人的な考えや今の心の持ちようであって、果たしてそれは万人受けするものではない。彼を宮崎駿の後継者扱いするのは間違いだ。宮崎駿の後継者レースに担ぎ出されることによって、人は彼の作品に世代を超えた感動やハリウッドのようなエンターテイメントを求めてしまう。不幸な連鎖だと思う。

やや脱線するが、宮崎駿の後継者候補と目されている幾人かはみな、大なり小なりそれぞれに独自の世界観を追求する形で作品と向き合っている監督だ。彼らの追求するスタイルはそれぞれに独創的であり、ごく個人的であり、ごく偏ったものである。

だから宮崎駿の後継者レースという捉え方自体が、もはや意味を成さないものになっていると思う。宮崎駿がアニメ映画の一強だった時代は終わり、アニメ映画は群雄割拠の時代になったのだ。黒澤映画しかなかった時代が終わったのと同じように。手塚マンガしかなかった時代が終わったのと同じように。

結局、自分に合う監督の作品を探して観るしかないのだ。「この夏の大衆映画はこれを観るべき」みたいな売り方は、だんだん時代にそぐわなくなってきている気がする。

 

わたしは細田映画が好き、というより、細田守という人のことがわりと好きだ。ただ、彼の作品は本当に彼の現在地しか描いていないので、人の親となった彼の今と、そうでないわたしの今とが乖離していけば、必然彼の気持ちに寄り添えなくなっていくかもしれないという危機感は常に感じている。

わたしが細田作品に一番強烈な没入感を感じたのは『おおかみこどもの雨と雪』だった。映画館で一人で観たとき、こんなにひとつの映画で泣くことはもうないだろうというくらい、全編通しておいおい泣いてしまった。

のちにインタビュー記事を読んで、あの作品が細田監督と奥様が妊活されておられる最中に作られたものだと知り、分かる気がするなあと思った。あの物語は、子育てに対する切ない憧憬に満ちている。

サマーウォーズ』は彼が結婚するにあたり奥様の親族の仲間入りをすることについて考えているときに生まれた作品だ。『バケモノの子』は念願の子どもが生まれ、父親になって考えたことが詰め込まれているという。

こんなにも、その作品を作っているときに考えていることが分かりやすい人もなかなかいないのではないかと思う。その分かりやすさもとてもキュートで、憎めない人だなと思う。

 

さて、前置きが長くなったけどようやく『未来のミライ』について。

今回の作品では兄妹の姿がメインで描かれているけれど、これは細田監督に第二子が生まれたから。あー分かりやすい。

そしてこの作品では、彼はエンターテイメントたろうとすることをすっかり放棄している。『おおかみこども』を観ていても、この人ぜんぜん子ども向けに映画作ってねえなと思ったけど、『バケモノの子』ではなんとかエンタメに寄せようとしている努力が感じられた。

からの、本作。もう「伝わるやつにだけ伝われ」みたいな感じに投げられる、監督の今考えてることの嵐が、たいへん心地よい。うんうん、もうそれでいいよ細田と肩を叩きたくなる。この人の作品を観ていると、そんな親近感を勝手に覚えてしまう。

恐らく、細田監督は第二子にしてようやく子育てに本格参加されたのでしょう。『おおかみこども』の菩薩のような母親像や、『バケモノの子』の「父親不在でも子どもは環境に育てられる」みたいな諦念に近い希望とも違う、リアルな子育て観がそこにあった。

泣きわめく赤ちゃんと赤ちゃん返りする長子に振り回されながらも、妻を立て自宅勤務に奮闘する父親は、きっと細田監督自身の理想の姿なのだろうと思う。

「うまくいかなくても、情けなくてもいいから、家族にやさしい男でありたい」という監督の小さな願いが感じられる。子どもが泣いたとき、妻がヒステリーを起こしたときに、怒鳴ったり言い返したりイライラしたりするのではなく、ひたすらアワアワする父親。子どもが「パパ、遊んで」と寄ってきても、仕事に夢中で生返事を返し、まともに相手をしてあげる余裕のない男。

一家の大黒柱らしい頼りがいのある親父にも、誰でも公平に対応できるゆとりをもった素敵なお父さんにもなれないけれど、力で相手を打ち負かそうとしたり、威圧的に対応するような男にはなりたくない。いつも家族のいちばんの味方でありたいという切なる想いが、あの父親像に詰まっているように感じた。

これは完全に想像なんですけど、『バケモノの子』を作ったあと、彼は奥様に怒られたではないかという気がします。「あなたね!子どもは勝手に育ってるんじゃなくて、あなたが何もしないで映画作りに没頭している間に、わたしが頑張って育ててるんですからね!」と。

(前作『バケモノの子』でも『おおかみこども』でも、子どもは父親から離れて勝手に成長していく。そこに監督のひとつの想いを見るのであるが、妻にとってそれは無責任にも感じられるのではないかという気がしたのであった)

そんで反省して、子育てを物語るのなら自分もきちんと子育てに取り組まなくては!と腕まくりをした今回、子どもとがっぷり組み合ったことで生まれたのがこの『未来のミライ』なのではないかと思う。

子どもはわがままで、気まぐれで、理が通らないことも平気でする。今日一歩前進したように見えたのに、明日になったら後退していたりする。子育ては日進月歩ではなく、一進一退だ……そんな理不尽さを、面白さを、肌で感じた監督が「これは書き留めておきたい」と感じたことの羅列、まるで子育てエッセイのような作品だ。

その「エッセイみたいな感じ」を、退屈だ、話に一本筋が通っていないと感じる人もあったかもしれない。けれどこのぶつ切り感こそが、一進一退こそが、監督が子育てに対して感じた印象そのままなのだろうと思う。

 

先程「宮崎駿の後継者扱いはもうやめよう」と書いたばかりで舌の根も乾かないうちに宮崎作品の話になってしまうが、今作では『となりのトトロ』のオマージュを匂わせる場面が出てくる。

くんちゃんがおっとっとを父の作業するテーブルに並べるところは、一人遊びをするメイが「お父さん、お花屋さんね」と言いながら父の机に花を並べる場面を想起させる。

『トトロ』の父はメイの並べた花を見てにこりとしてくれるが、今作の父親はくんちゃんのごっこ遊びに付き合うどころか、彼が父と遊びたがっていることにまるで気づかず、仕事に没頭している(この理不尽なまでの父親の無関心さは、監督自身の反省によるものであろう)。それに腹を立てたくんちゃんは、妹の未来ちゃんの顔におっとっとを載せるという形で父に逆襲したのち、中庭へと出ていく。

そして中庭で、ぽつぽつと点在するおっとっとに気づき、それを拾うことで初めて、中庭から繋がる不思議な世界へと歩みを進めていく。この場面によって想起させられるのは、点在するどんぐりを拾ううち中小のトトロに出会い、大トトロの眠る森の奥へとメイが引き込まれていく場面である。

細田監督は、今作の中庭の場面について「くんちゃんの空想である」とパンフレットのインタビューで答えているらしいと聞いたが、この場面がトトロを連想させるということは、(インタビューを読むまでもなく)中庭での出来事は幼いくんちゃんにとって、トトロとの邂逅に近しいものであると読み解けるのではないだろうか。

トトロは本当に存在するのかどうか、存在するとしたら一体トトロは何者なのか。その答えは『となりのトトロ』に明言されてはいない。しかし幼いサツキとメイにとってはトトロはきっと絶対に「存在した」し、トトロの存在によって彼女たちの成長は促されてもいる。子どもの頃にだけ接することを許された不思議な存在、大人の知らない子どもだけの冒険……それが『となりのトトロ』という映画に描かれている。

サツキとメイは、両親の不在時にトトロたちに助けられ、ひとまわり大人になっていく。もしかしたら彼女たちが出会ったトトロは、彼女たちの心の中にいる存在なのかもしれない。くんちゃんにとっての中庭も、きっと同じではないかと思う。

あの中庭での出来事がなければ説明できないことはたくさんある。普段大人しい犬のゆっこが突然はしゃぎ回ったのは何故なのか。誰がお雛様を片づけたのか。どうしてくんちゃんは突然自転車に乗れるコツを身に着けたのか。……それを大人の視点で説明しようとすることは、「トトロとは何か」を説明するようなものだ。大人にとって確かにそれは気になる問題だが、子どもたちにとって一番重要なのはそこではない。大事なのは、サツキとメイにとって、くんちゃんにとって、何が成長のトリガーになったのかである。

彼らの成長を促したのは、導き手である親の存在ではない。親の与り知らないところで彼らは大きな存在と出会い、そこからとても大切な何かを学び、親の知らぬ間に大人への階段を上っていく。

しかしだからといって、親は彼らと向き合おうとすることを放棄してはいけない。子どもを愛し、彼らの挑戦を応援し、見守る。それが親にできることである。

親だって完璧な人間ではない。子どもが未熟なのとそう変わらず、親だって未熟だ。しかしそんな親子が寄り添い合って家族ができ、家族が脈々と繋がって、歴史が作られていく。

未来のミライ』に込められた監督のメッセージがあるとするならば、そんなものだとわたしは思う。

 

この作品で、細田監督の作品世界はひとつの完成を見たと感じた。ミクロからマクロへと物語を展開していくスケール感は、細田監督の持ち味のひとつだ。

ひとつの家庭に焦点を当て、家というステージからほぼ出ることなく物語を描き切っているのは、くんちゃんという主人公一人の内面により深く入り込みたかったからであろう。そのくんちゃんが家の中から家族でキャンプ旅行に出掛けることで、今作の幕は下りる。家という閉ざされた舞台装置から降り、開かれた世界へ。それは家族というミクロの関係を描き続けてきた映画のラストシーンにふさわしい、マクロへの転換である。

細田監督のお子さん(特に長子くん)は、大きくなってこの映画をどう観るだろう。

「ぼくはこんなにワガママな子だったのか」と顔を赤らめるだろうか。「恥ずかしいよ、親父」と父の赤裸々な愛にいら立つだろうか。

何にせよ、彼の成長はもちろん細田監督の願いであり、また父の監督として、表現者としての成長そのままでもある。

彼らの健やかなる成長をお祈りして筆を置こうと思う。素敵な映画をありがとうございました。

新刊チラシの裏『暗闇から手を伸ばせ』編

※7/25追記

これ途中まで7月前半に書いたんですが、その後「良かった」という感想を頂戴して、とても救われた部分が大きいです

けど中途まで反省文書いていたので、その反省文は今後の戒めとして残しておければなと思って掲載しました

後半の「気に入ってるところ」は感想いただいて浮上したあとに書くことができました

ご感想くださった方、あらためて本当にありがとうございました とても力をいただきました!!

今回の新刊反省会場はこちらです。今回はもう完全に反省会だよ!!

ループものって本当に難しいですね…もっと頑張らなければいけない。

書いてるときは楽しかったけど、で書き終わって入稿したところまではやったった感凄かったんだけど、もうぶっちゃけ言って最高傑作やー!みたいな気分だったんだけど、徐々に自信なくなってどんどんいや…駄目じゃね…?って思えてきた こんなにふり幅が大きいのは初めて いや 二回目か…活動初期にはあったんだけど最近なくなってた どうだったんですかね 今マジで自信ないっす

とりあえず約8万字、96頁もの大作(※当社比)が完成したときの達成感は凄かったんですよ。またループものが憧れだったこともあり、やればできんじゃん!!みたいな気分でめっちゃ読んでほしいって思ってたんですけど、イベント終わってから急速に気持ちが落ちて、どうしようもないのを出してしまったのではないか感に苛まれています…こんなこと言うの買った人に失礼なんですけど…ここはチラシの裏なので…すみません

マジな反省会を執り行いますのでここからは完全に自分の脳内だけでやっとけ話です

書き留めておくことにより今後に活かしたい(活かせればいいな)

(以下新刊のネタバレを含みますので未読の方はご注意です)

(主な反省点)

・冗長

主に「小西先輩を救えなかった」部分を始めとする、規定路線の説明が長すぎた。

既存イベント(特に山野・小西・モロキンの死亡)が覆せないというのはループもののお約束ネタなのだからそこをクドクドと説明するより、どちらかといえばオリジナル要素の強い部分(強姦周辺の出来事など)についてもっと掘り下げるべきだった(それについては後述)。

何も全イベントをさらうことはないんだよな…豪快にすっとばせばいいものをなんだか全部ちゃんと書こうとするから無駄に長くなるしひとつひとつのイベントに繋がりを持たせるのが難しくなってしまった。全体的に流れが悪い気がする。

一貫性のある話にするには、プロットの時点で描くべきところとそうでないところの絞り込みが重要。原作にできるだけ準拠したいというのは個人的にこだわっている部分なのでそのこだわりを今後も持ち続けるつもりなら、全イベントを盛り込もうという強欲とはどこかで縁を切るべき。

・一番描かなきゃいけない部分が中途半端

暴行・暴力描写とか地雷の人多いかな…あまりやりすぎると引かれるかな…とビビッてしまって、本来ガッツリ書かなきゃいけない・書きたかったはずの場面を薄めてしまった。

BADエンドからのループからの脱出というアイデア自体は悪くなかったと思うんだけど、そこでビビッてアクセルを踏めなかったがために前周回がどれだけひどかったのか、主人公は前回からどう変化したのかが分かりにくくて、感情移入しにくくなってしまった気がする。

ふたを開けてみたら意外と受け入れてもらえたので、みんな思ったより無理矢理って読めるのね…と思ったし、そもそも配慮以前に無理矢理が駄目な人は最初から買わないので、受け入れてくれた人のためにはむしろガッツリアクセルを全開にしていくべき!と改めて思い知った次第です。

これだけ「好きなものを好きなように書くべき」って言われてる世の中なのに、自分でもそう思ってやっているはずなのに、いざとなるとビビッてしまうなんてマジで愚の骨頂ですよね…無理矢理のドエロいやつを期待していた方には本当に申し訳ない

・各章の余韻をもっと大事にすればよかった

これは編集に関しての問題点なのですが、結構ぎゅうぎゅうに文字を詰め込みすぎてしまい、章ごとの切り替えに難があったように思いました。

ツイッターで一度つぶやいたのですが、執筆中に小説家の方のコラムを読み、「一行開け中毒になってはいけない」というのを強く意識しすぎたんですよね。

一行開けを演出と捉えすぎてはいけないのはその通りなんだけど、それにしても詰めすぎて余裕がなかった。ひとつの出来事が終わり章が変わると、もう一呼吸おいて次に進んでもらえるような編集にすればよかった。具体的には章ごとに頁や段を変えるとか、それくらい間をとる必要があったなと…

これは完全に見せ方の問題なので次に活かします

・オチがバレバレ

「陽介とくっついてループを抜けてハッピーエンド」以外のオチはない、それは分かりきっている中でどう面白く見せるかなんですけどね…

「真犯人は足立」だって読んでる人みんな知ってるんだからもう少し見せ方はなかったのだろうか

言ったって仕方ないんですけど、結局ゲームで規定されていることをそのままなぞっている以上、この物語は一体どうなるんだろうのワクワクとは縁遠いんですよ…それを分かっていながら書いたんだけど、なんか…面白く見せられた気がどうしてもしなくて…ずっと自信が持てなかった

例えば犯人が変わっているとか、そういう仕掛けを仕込んである神ループ作品読んじゃうと余計に、神々の境地からの遠さを感じてしまったというか……

たくさん書いて読んで勉強しないといけませんね

・陽介側の心の動きが見えない

これはもう毎回デフォルトの欠点といってもいいくらいいつものことですね……

わたしの都合で主人公とくっつく展開になってるのが毎回頭抱えポイント…お互い惹かれあって っていうのが好きっていうかそこが大事なのになれそめばっかり書きたがるくせ毎回ちゃんと描けねーーーんだよツラ…

陽介が主人公のこと好きっていう描写が唐突なんだよな…どうすればええんや…どうすればそれをうまいこと書けるんや…

主人公くんに感情移入して書いているので陽介くんがこっちを見てくれるのはどうもご都合主義ぽくなってしまうんやな それは心情描写が下手くそだからだな……

改善策としては…いっぺん陽介の片想いのほうから書いてみるとか?今度やってみます……

とりあえずここんとこグルグル頭を回っていた反省点はそんなところか…(多い)

思い出したらもっとありそうで頭を抱えています 自分の頭だけで考えているとどうしても自己満足というか、良いのか駄目なのかの判断がつかなくなりますね 長いと特に…

でも二次創作してる人は基本みんな自分の頭だけで考えてんだよな みんな偉すぎやな…(改めて)

あとがきに書いたけど本当~~~に今まで読んできたループもの書いた方々に尊敬の念を覚えました

ワイのポケットにはまだ大きすぎたのかもしれない…もう少し鍛錬を積んでまたチャレンジしてみたく思います 懲りなーい

こんだけクヨクヨしたあとでなんですけど、

色んな方にご感想を頂戴して、少しずつ気持ちが浮上してきました

荒いところもいっぱいあるけど、ノリノリで楽しく書いたところや、書けて良かった!って思える場面もたくさんあったので…

なんというか 感想って本当に有り難いですね…

特に「ペルソナ4って奥深いなと思った」と仰って頂けたのは本当に…そう、そうなんですよ あの原作ゲームの奥深さに、わたしの創作を通して少しでもしみじみしていただけたのなら本当に幸い…

以下は、けっこう気に入っている点です

・足立さんを書くのが楽しかった

クズ書くの楽しい!!無印から入ったわたしはP4G欲望コミュをようやく体験したので、ついに足立を書く権利を手に入れました

普段全然彼について呟かないのは、足立さんが嫌いなのではなくまだペルソナ4をクリアしていないフォロワさんへの勝手な配慮なのですが(もしかしたら今後プレイしてくれるかもしれずそうなったときに自分でネタバレしたくないという気持ち…超絶自己満)、足立さんについてはどうしても色々と考えてしまう…というか考えさせるようなキャラなので、この機会に自分の足立観をすごく表現できた気がしています

足立さんの台詞回しとかも真殿さんで脳内再生しながら書くの楽しかったです

直接人を手にかけることには抵抗のある足立 というのと(コミュが欲望に変わるアレも脅し目的でわざと外して撃ってて殺す意図はないという解釈)、足立さんは自分の中で自分を正当化しようとしているけど完全に堕ちきってる訳じゃなくてどっかに良心のようなものが残ってるんじゃないかと思ってるので、それを書けてよかったです

じゃなきゃ世の中クソだみんな死んじまえと思ってる人が、捕まったとたんあんなに殊勝になって、わざわざ番長くんの帰る3月に手紙をしたためてきたりしないんじゃないかと思うので…

(普段足立について喋らないので喋り出すとたのしくなってしまう人間)

例えば人狼ゲームなんかで狼陣営になると、嘘をつき続けないといけない辛さってすごく感じるんですが、足立はずっとそのつらさと孤独を味わっていたんだろうなと思うので… 警察として犯人を追うふりをしながら本当のことをひた隠すのって 並大抵のことじゃないですよね

奥深いキャラクターです また機会があったら、じっくり足立について考えたり書いたりしたい

・ベルベットルームの人たちを書くのが楽しかった

自分の創作なら、イゴールさんを喋らせることができるんですよ…

それってなんかとても素敵なことだなって なんか今回思いましたね

足立の台詞を真殿ボイスで脳内再生するのと同じように、ベルベットルームの人たちが出てくるシーンは、脳内にあの曲が流れておりました(ノリノリ)

・ループに対する自分なりの解釈をひとつ提示できた

ループに関しては書き(描き)手さんによってそれぞれの解釈があると思うのですが、

今回の本に関しては、「巻き戻し」であって正確にはループとは違うかもしれません

同じ一年を繰り返す=周回するのではなくて、時間が巻き戻ることによって4月からをやり直すイメージ

なので世界線は同じです 陽介も同じ陽介です 孝介くんの対応で態度が変わっただけ

なので最後ナミちゃん戦で幾千の呪言のときに出てきた「孝介くんに犯された、前のときの陽介」は、実は本当にあったことではなくて孝介くんの罪悪感、あの陽介に謝りたいという心が生み出した孝介くんのイメージ みたいなものだと思って書いています(読んだ方は好きに解釈していただいて結構なのですが わたしの中の設定では)

陽介に赦すと言ってもらって初めて孝介くんの中の呪縛が解ける、もう一度立ち上がるために自分の心の中で鏡に映る陽介(≒自分)に向かって懺悔をした 的な…なんかこう うまく言えねーな

陽介は本当は孝介くんのことを最初から赦しているのだけど、彼は自分で自分が許せなくて、最後の最後でようやく赦すといって、前へと進む覚悟を決めたっていうか…そんな気持ちを込めたのですが 伝わりにくくてすみません

(自分で書いた話に自分で解説を加える残念さ…あのこれ チラ裏なんで 独り言なので…)

ちなみに「鍵を集める」とかっていうのは、お気づきの方もおられるかもしれませんが『涼宮ハルヒの消失』の「プログラム起動条件」のオマージュです。

消失大好き~~~~

消失での脱出の鍵と近しいものが本作でも鍵になっています もうね これはただの趣味です 同人誌だしね!

普段主花を書いていますが主花の二人以外のペルソナ4のキャラクターみんな好きなので、今回いろんな人をいつもよりは少し深く書くことができて良かった…

直斗を悪者のようにしてしまった気がするが 彼女は情に流されないところが格好いいと思っているので…

他のコミュ相手とか、特捜隊の子たちももっと掘り下げて書きたいです

今回勝手にどちゃくそ自信喪失してたので、良かったというお声をいただけてとても救われました

落ちまくってたときはもうこれで足を洗おうかと思っていたくらいだったのですが

感想をいただけてここまで回復するなんて本当に単純…

もし面白いと思っていただけた方がいらしたら 少しでも教えていただけると助かります

駄目だったところもそっと教えてください あの できるだけ優しく教えてください(小声になっていく)

長いお話は本当に自分では良かったのかどうかの判断がつかなくなります

下手くそでただだらだらと思ったままに書いている浮き沈みの激しいわたしですが

今後も頑張って書いていこうと今は思います

長い反省文を最後までお読み下さった方がもしいらしたとしたら、

ここまでおつきあいくださり本当にありがとうございました