過去イチ重い記事です

一日一更新、七十六日目。

今日はちょっと暗い記事になると思う。

27歳で自殺してしまった先輩がいる。大学のサークルで知り合った、一期上の男の先輩だった。

100人以上が所属しているバンドサークルで、その先輩は副部長を務めていた。責任感が強く、プライドが高く、皮肉屋で毒舌家で、大学に入ってからベースを始めたのに、わたしが入部する頃(つまり、ベース歴1年)には、部内でもかなりの実力になっていた努力家の先輩だった。

大学を卒業してからの進路についてわたしは詳しくなく、また記憶も曖昧だが、たしか保育士を目指していたのではないかと思う。わたしと同じ人文系の学部卒で、就職の口は多い方ではなかったと思う。資格を持っていたのか、資格取得の勉強をしながら働いていたのか定かではない。

自殺の報を聞いたのは本当に突然だった。友達と楽しく飲んでいたときに、大学のサークル仲間の連絡網で回ってきて、本当に本当に衝撃だった。まさかあの人が、と、電話口でしばらく言葉を失った。

時代性もあると思うが、当時の我々(※人文系の学部で心理学など齧っていて、バンドサークルに属して楽器などやっている連中)は、大なり小なり捻くれたモラトリアム人間が多かったように思う。わたしも御多分に漏れずそうだったが、概して自虐的で、「どうせわたし(俺)なんて…」が口癖、みたいなタイプの内省的・内罰的・グランジロック拗らせカート・コバーン崩れ(カートに失礼すぎる)が多い中、彼はそういうタイプとは真逆の、クールで自信家な一匹狼、という感じの人だった。いつも凛としていて、おしゃれで、長く付き合っている可愛い彼女がいて、この世の誰より、自殺など無縁なタイプに思えていた。

芸能人で言うと、石野卓球のような感じの人だ。顔も結構似ていて、一見親しみが湧きそうな見た目だけど、実際近寄るととてつもないオーラがあり、言葉にクレバーゆえの棘もあって、この人の前では下手なことを言えない、という感じの人。

彼が亡くなって10年以上経つ今でも、まだ信じられないくらいだ。今でもときどき彼のことを思い出しては、「プライドの高さゆえに、社会に出て感じた孤独や悩みを誰にも相談できなかったのかな…」とか、「どうしても自分を曲げられなかったのかな」「社会に迎合したくなかったんだろうか」とか、いろんなことを考えるけれど、やっぱりずっと分からないし、ずっと怖い。あんな賢い、努力すれば何だってできそうな人が死を選ぶなんて…と、わたしはずっと思っているし、たぶん彼のことを知る人の誰もが、わたしと同じ気持ちを抱えたまま生きていると思う。

突然人の死に接したことのある人は、軽率にしにたいとか、ころすとか、しぬきで、とか、冗談でも言えないようになる。10年以上経ってもう慣れてしまったが(慣れてはいけないのだろうが)、当時はそういう言葉を耳にすると本当にドキッとして、笑いながらそういうことを言った人を「軽々しくそんなこと言っちゃ駄目だよ」と窘めたいような気持ちになった。その感覚は、本当は今でも持っていたいものだが、痛みと共に薄れてしまったなと振り返って思う。

突然なんでこんなことを書き始めたかと言うと、今日見かけたこのポストの文章を読んで、彼のことを思い出したからだ。(以下、大変名文なので、ぜひ読んでみてください)

これを読んで、ああ、彼にも、こういう場所があったらよかったのかもしれないなあと思い、泣いてしまった。そして、この文章を書いた人がわたしの先輩のようにならなくてよかった、とも。

就職氷河期世代」と今では呼ばれていて、自分たちが就職する当時も就職難だとはよく言われたけど、当事者としては、金の卵なんて呼ばれていた時代も(言葉としてしか)知らないし、他と比較してどれだけしんどい時代だったのか、当時は実感があまり湧かなかった。就職が決まらずずっとフリーターを続けている人もたくさんいたけど、それが普通なんだと思っていた。その「普通」は自分たちの時代だけの話で、その後改善されるとも分からないし、そのまんま行くもんだと思っていた。

でもうすぼんやりしたわたしとは違って、賢い彼には分かってしまったのかもしれない。先に希望が見えない、とか、そういう一寸先の闇が。

彼が死んでしまった理由は分からないままで、正直、うすぼんやりしたわたしがそれを想像することも彼は屈辱的に思うのではないかと思ってしまうけれども、上記ポストの文章を読んで思い出したのは、あのとき、きっと誰がどうやっても救えなかった(と思わないと哀しすぎるので、わたしはそう思うことにしている)彼のことだ。

この、イトーヨーカドー津田沼店のゲームセンターで働いていた人が「もう大丈夫」と言えるようになって本当に良かったなあと思うし、わたし自身も今「もう大丈夫」だろうと思えているのは、あの頃ほんの少し運が良く、また両親が色々と世話を焼いてくれたお陰だ。あの、賢くて、努力家で、プライドが高くて、ハイセンスで、頭抜けてベースが上手く、誰よりマンガに詳しかった彼が、何かを捨ててでも生にしがみついてくれていればよかった。でも残念なことにそうはならなかったので、わたしは彼のことをずっと忘れずに、脳内でときどきすごく辛辣なツッコミを入れてくれる人として、あらゆる意味での戒めにしていこうと思っている。

何が人の救いになるか、何がとどめを刺してしまうのか、本当に分からない世の中だ。

皆様、どうかお達者で、どんなに投げ出したくなっても、自分から生を手放したりはしないで、やっていってくださいよね。いつか大丈夫になる日が来る、なんて軽率に保証することはわたしにも(誰にも)できないし、そう信じられなくなることもあるかもしれないけど、命以外の別のものを曲げたり捨てたりしてでも、そこだけはどうか、止まるようにしてほしいです。

あー、しんどい。ずいぶん重い記事を書いてしまった。疲れたのでお風呂に入ってのんびりしてきます。明日はもっと気楽なことを書こう。