ゲームと実況の関係について思うこと

一日一更新、七十五日目。

ちょっと作業に疲れたので息抜きにブログを書こう。こういう息抜きとして頭をリセットできるのも、毎日更新の良いところかもしれない。文章を書く習慣があることのメリットだ。と思おう。単に現実逃避しているだけかもしれないが。

タイムライン(おすすめ欄?)で話題になっているトピックについて、エックスにポストすることを最近避ける傾向にある。短い文章で表現するのが難しいのもあるし、誤解を招く強い単語をうっかり遣ってしまってそれが拡散されても嫌だし、そういうことを考え始めると面倒になって発言自体しない方が無難ですねと結局、思うからである。しかしそうすると、一時的にでも考えたことを留まらせることがなく、ただ流れて忘れてしまうので、ちょっと物を思ったな~くらいのことは一応覚えておきたい。(というほど大したことでもないんだけど)

抽象的な言い方ばかり選んでいるが、このブログを(今も、継続して、気が向いたら時々)読んでくださっているのは、長い付き合いのフォロワーさんや仲の良い友人が多い(と、いいね欄を拝見していて思っている。いつもありがとうございます)ので、まあ、多少ホットな話題について書いても爆速的に拡散・大炎上とはならんやろという、ある種高をくくったような形で、たまには思ったことを書いてみたい。基本的には、穏当で、波風の立たなさそうなことしかオンラインでは言わないようにしているアカウントです。

(意訳:大々的に拡散されることを想定せず、こう思ってるよ~と内輪向けに言ったことを記憶しておきたいだけの記事なので、あんまり頑張って拡散しないでほしいよ。共感してくれたらありがとうだし、あまり共感できなくてもそっとエアリプ飛ばすくらいにしておいてほしいな。分かってくれるよね、ララァなら…)

「ゲームの実況動画を見ただけでそのゲームにハマったと言っていいのか議論」については、ゲームジャンルの以前からの課題であり、少し前までは「答えはNO!エアプ!地雷!」の大合唱だったと記憶しているのだが、最近になってその潮流に変化が起きている。ゲーム実況を見る、という習慣が多くの人の日常となり、ゲーム会社(公式)の方でも新作ゲームの宣伝のために実況者とコラボすることがごく普通に行われるようになった現在では、ゲーム未プレイの実況履修勢=エアプ、と簡単に判断・糾弾するのが難しくなってきたのである。

ここ最近、ゲームジャンルで繋がったフォロワーさん・ゲームジャンルでないフォロワーさん問わず、このポストに反応されておられるのをよく見かける。

まあここの論点は「ゲーム実況だけ見て満足」するくらいのところまでなので、これがもし「ゲーム実況だけ見て二次創作する」となればお話は全然変わってくるのだろうけれども(エアプ地雷論争は、基本的に二次創作をする者がゲームを遊んでいるかいないかを論点にしていると思っているので)、実際、興味はあれども難しそうだから自分では遊ばない(遊べない)が、実況見るのは好き…というゲームが、今や誰でもある時代なのだと思う。

かく言うわたしも、ホラーゲームは自分ではできない。ミステリー要素のある推理ゲームならまだできなくはないかな…(でも怖いな)と思うが、アクションゲームでホラー、スプラッタなど過激表現のあるゲームはもう、できるだけ近寄りたくないという気持ちである。

でもバイオハザードとか、自分でやると難しいわ怖いわで絶対無理ゲーなのだが、友達がやってるのを横で見ているのはメチャ楽しかったし、実況者がキャーキャー言いながら遊んでいるのを見るのは大変面白い。実況の人の目線を通して見るのであまり怖くないし、なんなら怖がる様が面白くて笑える。そして、アクションであってもバイオとかのゲームは謎解き要素が往々にして入ってくるので、悲鳴抜きでゲームのストーリーが面白いのである。サロメ嬢のおバイオ実況とか、すごく面白かったです。

そうやって自分が、触ったこともないゲームの実況を見て楽しんでいるというのに、他人様に自分が好きなゲームだけは「プレイしないと面白さは分からないよ!プレイして!」というのは傲慢というものだし、押し付けも良くない。

わたしはペルソナ4が大好きなので、ペルソナ4のゲーム実況をよく見る。自分が再履修するのを目的にして見るのではなく、ペルソナ4を初めて遊ぶ人(実況者)の初見の悲鳴を浴びたいので見るのである。

ペルソナ4の初見の悲鳴で嬉しい言葉第一位が「八十稲羽から帰りたくない」だ。この言葉には、ペルソナ4というゲームの没入感の高さがよく出ている。ペルソナ4を遊んでいると、八十稲羽というゲーム内にある架空の街が、本当に存在する自分の第二の故郷のように思えてきてしまう。その街で暮らすキャラに感情移入し、主人公に自己投影するからこそ、クリアする=主人公が八十稲羽を出て元いた街へと帰る、ということが受け入れられず、「ずっとこの街で暮らしたい!この日常を終わらせたくない!八十稲羽から帰りたくない!」とプレイヤーは強く思うのであるが、この言葉をなぜみんな言ってしまうのかは、このゲームを実際にプレイした人にしか分からないと思う。

八十稲羽で過ごす一日一日を、主人公として体験した人だけが「帰りたくない」という気持ちを覚えるのである。これは恐らく、ゲーム実況をただ見ているだけでは共感し得ない感情だと思う。

だから、わたしはペルソナ4を全人類に遊んでほしいし、遊んだ上で「八十稲羽から帰りたくない」と思ってほしい。完全にただのわがままです。でも、そういうわけでこのゲームを実況で履修してほしくない。

ペルソナ4についてはTVアニメにもなっていて、アニメを見てストーリーを知ったという方も多い作品である。しかし、ペルソナ4のアニメはたしかによくできてはいるのだが、これも「鳴上悠という名前の主人公が過ごした八十稲羽の一年間」でしかなく、あなたの八十稲羽の物語ではないのである。アニメで語られない脇役キャラのストーリー、鮫川の土手を歩いている時に感じる季節の移り変わり、物語の進行につれて変化していく街並みの様子…などはゲームでしか表現し得ないし、そういう意味ではアニメで履修するよりゲーム実況のほうがより正鵠を射ている、とわたしは思っている。

でも実況は、実況者の視点が当然入ってしまうし、その選択肢を前にしたときどれを選ぶか、「自分で決めた者」でないと得られない感動があるのである。なので、やっぱり「自分で遊んでほしい!来て、見て、触れてください!」と思ってしまう。

幸いなことに、最近のゲームは難易度選択ができるので、本当にゲーム反射神経がないから(RPG的戦略思考が弱いから)、自分にはプレイできない…と思う人も、履修しやすい設定にはなっている。もちろん、本来の難易度であるノーマルモードを選択できた方がより製作者の意志を汲み取れる、歯応えあるゲーム体験ができるのには間違いないだろうが、苦手だけどとにかく一度プレイしてみよう!と思う人に優しい時代になってきている。ペルソナ4はそこそこ難しい部類のRPGだが、EASY選択をすれば敵が弱体化するだけでなく、全滅してもすぐ生き返る(つまり全滅しない)設定にすることができます。『逆転裁判』なんか、推理ゲームなのに選択肢をゲームの方で勝手に選んでくれる「推理しなくてもストーリーが見られる」モードがついていたと思う。

それくらい…プレイしなくてもいい設定を設けるくらい、実況だけじゃなくて自分でプレイしてほしいナ…と制作側でも思っているのだと思う。

だとしてもホラーはびっくりさせる演出とかトラウマ植え付けシーンとかあるから、怖がりが自分で遊ぶのはハードル高杉晋作と思ってしまうけれども、できるだけわたしは、未履修のゲームは一回自分で遊んでみたいなと思うタイプの人間である。

ゲームというのは、映画やマンガと違って「自分がその世界に入り込む」ことを想定してストーリーや世界が練られている。そこに、実況者というフィルターが一枚入り込む以上、やっぱりそれは自分で体験した物語ではない、と思ってしまうので…。

でもわたしもゲーム実況で感動することは多い。プレイ済のゲームしかほとんど見ないのであれなんですけど、自分が感動したポイントで実況者が感動してくれたら嬉しいし、自分がスルーしていたところで感動しているのを見て「こういう感じ方もあったのか!」と新鮮な発見をすることも多い。一緒に感極まってしまったり、ゾクゾクしたりすることも多い。

矛盾の多い記事になってしまったが、話題のトピックに関するコメントをするというのもたまにはいいかなと思って思いつくままに書いてみました。別に、わたしと同じ意見じゃないと駄目!とか全然ないので(そもそもどんな意見なのか結局分からない記事になっちゃった)、気軽に読んでへーお前ってそうなの。と思ってくれたら嬉しいです。