ルックバックと銭湯、風呂上りのビール

一日一更新、七日目。今日で一週間か。

昨日は有言実行ということでお出掛けしてきました。川崎、武蔵小杉あたりを自転車で走り回り、買い物をしつつルックバック(映画)観てきました。一人でその場のノリでやることを決めて動く感じって楽しいですよね。

これは、神奈川と東京の狭間、多摩川の橋上から撮った夕日。綺麗でした。

 

最寄り駅に着いてから銭湯に寄ったのですが、すげえ気持ちよかったです。そのまま一人で飲みに行ってしまった。風呂上りのビールは最高なので…(同じことをブログに何度も書いてる気がするのでこれはサビ)

ルックバックについて書こうと思っていたのに、銭湯が好きという話になりそうになった。今日は初志貫徹、ルックバックについて書きます。銭湯はまた今度…

lookback-anime.com

原作既読で、観たら絶対泣くだろうなと思ってたけど案の定というか、もうタイトルが出たくらいの時点でもう泣いていましたね。ネタバレなしで感想を書こうと思うと、とにかく「泣いた」ばかりになる。キャラがただ道を走っているだけでなんだかすげえ泣けてしまう。表現が上手すぎて、走っているだけのその足取りに、彼女がどんな気持ちなのかが分かりやすく表現されていて、青春すぎて眩しくて泣けてしまう。あと音楽がずるい。ずるいって言い方は適切でないのだろうけど、もう背景音楽で「もう戻ってこない、この時だけの輝き」みたいなものが余すところなく表現されていて、なんでもない場面がなんでもないはずないことを主張してくる。ほらーもう『ロード』のサビがすぐ頭の中に流れ出してしまうじゃないの。

劇中劇というか、マンガの表現もすごい。絵が動いてる表現、漫符のガチャガチャした感じとか見てて楽しい。チープなのにすごくリッチな画面。映像作りが上手すぎる。声優さんのお芝居もリアルでとても良かった。特に藤野役の人と例の犯人役の人のリアリティが凄まじくて没入感があった。

(ここからはネタバレがある。)

藤野のマンガを描く理由は昔も今もずっと京本だったのに、京本がいなくなって描く理由を失って、だけど京本の思いを受け取ってこれからも描き続ける。

藤野は結局、京本に「京本の絵はすごい。わたしは京本に画力で勝てたと思ったことが一度もない」と伝えることができないまま、京本からの賞賛はたくさん受け取ったのに、その賞賛があったお陰で藤野はマンガを描くことに戻れたのに、京本にそれを返せた実感を得られないまま京本がいなくなってしまったから、藤野にできることはもう描き続けることだけなんだろうと思った。

この作品から伝わるものは、創作の楽しさというより、創作することの業の深さ、創作することの重さ、人を病みつきにする魔力と、やめられなさ、底知れなさ。「いやーマンガって、ものづくりって素晴らしいですね!」みたいなあっけらかんとした賛美では全然なくて、「いやー大変だよ、他のこと全部犠牲にしてでもやり続けたいと思うようなモチベーションがないと無理だよ、でもわたしはやるけどね。見ててよ」みたいな半ば自暴自棄にすら感じる諦めみたいなものなんだけど、そういう魔力を受け取ったこっちも「分かるわ。なんか…わたしも作らないとな」というやる気に満ちた気持ちになるのは何故だろう。

楽しいから作る、みたいな蜜月の時期もあったけど、それだけで創作を続けるのは多分実質無理なんだろう。とくに物語を捻出し続ける藤野は「こいつには敵わない」とか「こいつに理解されたい」とか「犯人許せない」「ドロップキック食らわせたい」「幸せになりたい」「全部滅茶苦茶にしたい」みたいな感情を物語に変換することでしか生きていけない人で、藤野のそういうところに京本は惹かれたんだと思うけど、藤野のそれは業みたいなものでそれが生業で、だから楽しいことばかりじゃないけど絶対やめられない。

藤野のそういう生き様は、背中は、知れば知るほど苦しそうだがすごくカッコよくて魅力的で、だからみんなこの映画を観たあと、なにか自分もしたくなっちゃうのだろうと思う。原作もエネルギーがあったが、そのエネルギーをそのまま映像に変換していてすごい。タツキ先生の衝動がタツキ先生だけものでなく創作者みんなの叫びだったことが分かるというか…なんか 書いてるうちよく分かんなくなってきたのでこのへんで失礼します。やっぱり長くなったぞ