明けましておめでとうございます。

年明けてもう10日も経って、初詣よりどんど焼きな昨今ですが今年も宜しくお願いします。

どんど焼きってうちの地元じゃおたりやさんって言ってたんだけど、他の地域じゃ聞かないですね)

前厄明けて今年は本厄です。気をつけて生きようと思います。

昨年は、2月の浅トラから始まり、年末の冬コミまでイベントにサークル参加したことが一番の変化だった1年でした。

わたしはやっぱり、何かしら締め切りというか、目標がないと書くことができないんだな~とわかったのと、

1年通して書きたいこととか、表現したいことが変化していくのを実感できたことが大きかったです。

最初は、自分に向けた義務感というか、「本を出すならまずはこういうものを書かねばならない」みたいな

妙な使命感を帯びて小説を書いてました。

最初の2冊(『イツカドコカ』と『楓』)は、その誰得な使命を果たすための2冊でした。

なんというか、まず自分は原作の赤崎をこう考える人だと捉えていますよ、ということを説明しなくては始まらない気がしたのです。

わたしは原作を読んでて、もうダメなんですけどどうしても赤崎目線になっちゃうというか、

生え抜きの選手って設定なのにファンからそれほど愛されている描写がないのは何故かとか、

椿が自分より高く評価されているのをどう思っているんだろうかとか、

もうついそういうことばかり考えて、赤崎を可哀想に思ってしまう傾向がありました。

なんで本を出すならまずは自分の中のそういう可哀想な赤崎を昇華したい、という思いがあったように思います。今思えば。

おかげさまで、最初の二冊を出したあとあまり原作を読んでも赤崎を不憫に思いすぎなくて済むようになりました。

でも『楓』を書き終わったら、もう書かなきゃいけないと思ってたことがなくなっちゃいまして。

そこからしばらくスランプというか、脱力状態になりました。

不憫な赤崎を自分の中で昇華させた途端脱力してしまったので、一時は赤崎への熱が冷めたのかとすら思いました。

(実際は、そのとき取り組んでたアンソロの原稿が、結構難しい題材で悩んでいただけかもしれないですけど)

そこから、「あ、わたしやっぱり赤崎好きなんじゃん」と思い出させてくれたのは、なんということか11月の浅トラのサークルカットでした。

お題が「あなたのベストシーンは?」というもので、そりゃもう、「駄目だ俺は…後半外される…」に決まってんだろ!!!と荒ぶっているうちに、ああいった世にも気持ち悪い呪詛が出来上がったわけなんですけど(こちらの日記を参照

あと支部に上げたジノザキデイ用の小説を誉めていただいたことも大きかったな…。

二次創作で本を作るよーという話をしていたときに、友人から

「もし自分が出す本は自分以外誰も必要としていない、自分だけしか得しない本だったとして、それでも出す意味はあるのか」

みたいなことを訊かれて、「何言ってんだ、出したいから出すに決まってんだろう!ていうか同人誌のスタートは誰でも何でも全部そうだろう!」と即答したし、今でもそう思っています。

でも、やっぱり感想いただけると違うな~としみじみ思いました…。

自分が書きたいから書いているんだけど、評価されたいからやってるんじゃないんだけど、共感していただけると伝わったのかなと思って本当に嬉しくなります。他では得られない感覚かも。

感想をいただけた感動を味わって以降、自分もなるべく人のご本を読んだ感想をお伝えしようと思っておるですが、これがなかなか上手くできないんですよねー。感想って難しい。書き手に見られることのないであろう感想文なら余裕で書けちゃうんだけどなー。

で、スランプ明け以降はなんというか本当に好き勝手に気分に任せて書いてます。

妙な義務感とかはもう何もなくなった…唯一あるとしたら、「いつかザキ受け一人アンソロ(という名の再録本)を作るぞ」くらい…。

あっあった義務感!冬コミのときは、「R-18に挑戦する!!もう逃げない!!」をテーマにしていたっけ。

あれは結構苦しかった…コレジャナイ感と戦いながら書いたもので、購入していただけても買っていただいた方の目を見れない現象に…

今はノマカプ(ザキユリ)書いてますけど、あらかじめ言ってしまうとえろはなしです。

えろなしで書けるって楽だ~!なんであんな修羅道歩いてたんだろうわたし向いてないことはするもんじゃないNE☆とか思ってしまうでもまたいつか挑戦しなきゃ…したい…多分

今はザキユリ書くのめっちゃ楽しいです。着地点が全然決まってないけど。

今年もいっぱい楽しくお話書けたらいいなと思ってます。

こんな適当で自分勝手なわたしですが、今年も宜しくお願い致します!

今年も2月の浅トラで1年が始まりまっす!いやっふう!