思考の日々:明るくてどうでもいいことを考える

一日一更新、三十三日目。

一カ月くらい毎日何かしらについて書いている。できるだけ明るくてどうでもいい、毒にも薬にもならないことを書こうと心掛けている。Twitter(現X)に関してもそうで、暗いこととか何かに腹を立てたことは極力書かないように決めている。

しかしそうすると、明るくてどうでもいい毒にも薬にもならないことを思いついたときにしか投稿しないため、何も書かない・呟かないという日が増える。結果、思いを言葉にする機会が減り、言葉を扱うこと自体が億劫になるのである。

何も考えずにぼーっとしているという時間にも、何かしらは考えているものだ。暑いなあ~とか、お腹いっぱいだなあ~とか、今日雨降るんかなあ~とか。もっと言えば、自分に生きている価値はあるのかなあ~とか、誰からも嫌われたくないなあ~とか、なんで人は争うのかなあ~とか、気づかないうちやたらと壮大な思考になっていることもある。一人で黙々と単純作業をしているときや、タイムラインをぼんやり眺めているときなどに、そういう思考に陥りがちである。

そういったひとつひとつの思考を取り上げていちいち言葉に変換する必要はないかもしれない(中には、変換しない方が良い思考もあるだろう)が、できるだけ言葉にしようと志すことによって、明確な形を成すこともあるだろう。逆に言えば、やらないとできなくなる。やばいとかすげえとか便利すぎる表現を多用しているうちに、それ以外の表現方法を忘れてしまうのである。恐ろしいことに。

平たく言うと、「なんだか世の中嫌なニュースが多くてだんまりを決めこみたい気分の日だけど、それでもブログを更新しなくちゃ。気分が乗らねえなあ。でもサボると、そのままズルズルになっちゃいそうで嫌だしなあ」という気持ちなのである。それを800字近く使って表現してしまった。読まされる人の気持ちにもなってみたまえ。すみませんねえ。

しかし1か月かあ。これを書き始めたばかりの頃に都知事選とかやってたっけなあ。すごくない?だいぶ前のことみたいだ。

毎日書いていれば、何かしらレガシー的なものはやはりというか、残る。数年後に読み返したら、ああこの日は、好きな芸能人が炎上してクサクサしていたんだったわねえ、と思い出すのかもしれない。そのときまで元気で過ごせるよう、毎日をがんばって楽しんでいきましょう。