応援という行為 2

今日はW杯予選の大一番ですね。勝てばW杯出場決定。是非因縁の相手に勝って出場を決めたいところです。

代表戦って、サッカーがあまり好きじゃない人はもちろん、サッカー好きな人(特に欧州サッカー好き)にも冷ややかに見られている節がある。

いわく、「だって日本弱いじゃん」と。「弱いのに、国際試合で勝てている他のスポーツよりサッカーが優遇されててムカつく」とか「世界に比べればまだまだ」とか、まあよく言われています。

熱心に観ていると馬鹿にされたりもします。惨敗したときなんか散々に言われます。多分、サッカーが好きな人は皆、そういう経験をしたことがあるのではないかと思います。

Jリーグもそうで、欧州サッカー好きで国内サッカーを観ない人には、特に冷ややかな目線を向けられがち(もちろんそうでない人や、両方観るって人もいます)。

「弱いチームを応援して何が楽しいの?」「レベルの低い試合をお金出して観に行くなんて物好きだね」「欧州サッカーを観たら、Jリーグの試合なんて退屈すぎてもう観られないよ」…。書いてて苛々するけど、「上質を知らないから、そんなつまらないもので満足してるんだ」とでも言いたげです。(もちろん、そうでない人だっているんですけどね)

拙作『ジャイキリアーカイブ』にも書いたのですが、応援することの喜びは、何かに思いきり肩入れすることの喜びです。

それはすなわち、ひとつのチームを通して、そこに所属する選手の過去から未来を、チームカラーを、街を、スポンサー企業を、マスコットを…そのチームに関わるすべてを自分のことのように愛し、慈しみ、感謝して毎日を暮らす、ということです。

某議員が言った、「他人に自分の人生乗っけて」という言葉。これはまさしくその通りで、サポーターは自分の人生の一部、あるいは丸ごとそのものを、応援するチームに乗っけています。そんな生き方をあざ笑う人もいるでしょう(当然います)。でも、尊いと思う人もいるでしょう。大好きなものに自分の人生を捧げる、それくらい強く肩入れしたからこそ、勝利の喜びも敗北の痛みも深まるのです。まるで自分のことのように、チームと共に泣いたり笑ったりするのです。

そのチームが「強いから」「レベルが高いから」応援するのではない。これはそんなに簡単に説明できる感情ではありません。強いから、レベルが高いから応援している人はただの観客であって、サポーターではありません。チームにはいい時期も悪い時期も必ず訪れるので、悪い時期が来た途端、その人はチームを離れていくでしょう。

とあるサポーターが言った、「選手は移籍できても、サポーターはできない」という言葉がまさに至言です。楽しい思いだけをしたい人は、サッカーなど見ないほうがいい。

偉い人が昔言った「サッカークラブは苦痛を売っている」という言葉も至言です。負けること、降格すること、選手の移籍、スポンサーの撤退…いろんな苦痛を味わいながら、サポーターはひとつのチームを見守り続けます。チームを愛するがゆえに、チーム関係者に不満が出ることもあるでしょう。俺たちが愛し守ってきたクラブを私物化するなと思うことも、目に余れば退任させろと言いたくなることもあるでしょう。長くチームを見守ってきたからこそ、どうしても許せないこともある。

初期のスカルズは、低迷するチームを支え見守り、見放さずにずっと応援し続けてきました。だからこそかつて「強いから」「スター選手がいるから」ETUを応援していた連中が、レジェンド見たさにノコノコ戻ってくることが許せない。チームを見放した裏切り者が、愛したチームを私物化するのを看過できない…ごく自然な感情だと思います。自分の愛するものを見限られる、というのはとてもつらいから。一時戻ってきてくれたとぬか喜びをして、また同じ気持ちを味わいたくないから。

ブーイングは悪いこと、と言われがちな昨今ですが、わたしは決して悪いことではないと思う。いいことだけでなく、痛みもチームと共有しているんだから。不甲斐ない試合を見せた選手たちに、激励だけでなく叱咤を送るのもサポーターの権利であり、可能性であると思います。

去年、J1を降格する寸前の名古屋のサポーターは、試合終了後何時間もスタジアムに居残りブーイングを続け、フロントに対話を求めました。終電が終わっても、明日の仕事もあるというのに…。そんなの、本気で愛していないとできません。そうまでしても対話しなければいけない、きちんと方針を持っていると聞いて納得しないと帰れない、という強い気持ちがあるからこそ、自分の生活を犠牲にしてまでもチームに対する怒りを表し続けたのです。

札幌にかつて在籍していた芳賀元選手は、負け試合の後に拍手を送るサポーターに向かって「ブーイングしてください」と訴えました。当時の札幌は(言葉を選ばずに言えば)若手選手の仲良しチームで、経験の浅い彼らには危機感が足りなかったのだと思います。そういうチーム状況に喝を入れることも、時としてサポーターの役割であると思います。

長々と書いてきましたが、何にせよ一度沼に浸かってしまえば、サポーターとしての生活はとても楽しいものです。チームと共に一喜一憂し、実生活では有り得ないくらい感情を爆発させる。スタジアムに行けば必ずいい思いができるとは限らないからこそ、応援には熱が入り、勝利したときの喜びは格別なものになる。

これを読んでいる方のほとんどは、サッカーが(ジャイキリというマンガが)好きな方でしょうけれども、もし、全然興味なかったという方がこれを読まれたら、今日の夜19時半に、テレビをつけてみてください。ワールドカップ出場が決まるかどうかの大一番、泣いても笑っても胸が熱くなる大事な戦いが、きっとそこにありますから。

応援という行為過去記事→http://kozarubiyori.seesaa.net/article/445299825.html