バケモノの子を観た
また日記書くなら昨日書かなくても良かったじゃないのー!わー!泣いた。面白かったです。
細田作品は監督の私小説的な映画なので、好き嫌いは人によって別れるんだろうと思う。わたしは好きです。
おおかみこどものときほど強烈な没入感はなかったけど、それはきっとエンタメとして成立しているということとイコールなんだろうな。
以下、ネタバレです。
テーマは子どもを育てるということ、子どもが育つということ。
細田監督は目出度くお父さんになられたということで、監督の思うお父さん像がよく分かりました。
子どもは父親を真似て育つ、不器用な父親でも子どもはちゃんと大事なことを見て選んで育つし、親も子どもに育てられる。
だから子どもを育てる資格がない親なんていないんだということ。理想の父親である必要はない。ただ愛情を注いであげるだけでいいのだ。
そしていつか子どもは親を越えていく。そのときに父親は子どもの心に一本通った芯になってやるのが一番の理想で、たとえ近くにいなくても、子どもは勝手に頑張るから、ただ信じてあげるだけでいいのだ。
そういう、言葉にしてしまうと陳腐なくらいにストレートなメッセージがめちゃんこ詰まった映画だった。
おおかみこどものときに感じた強烈な共感(のようなもの)が薄れたのは、私小説であるということを自覚し俯瞰している感じがあるからだろうか?単に監督が人の親になって、新しい世界へ進み始めたからかな。
でも細田監督の人生観が好きだなーと思う。そしてそれを作品に昇華するやり方も。
出てくる人たちがみんな優しくて、映画が終わる頃にはみんなと仲良くなっている気がしている。込められているメッセージの愚直さも、大物らしくない頭身で、ピントが合ってると思う。
うーん、やっぱりどうしてもこの映画は、前作おおかみこどもとセットで語る必要がある気がするな。わたしがおおかみこども信者だからかな?
あの世界はどこかで繋がっている気がするんだよな。
おおかみこどものお父さんは、話の序盤で早々に退場してしまったけど(そのことが映画の評価を分ける要因の一つになっていたけど)、
今回監督は、自分の思うお父さんの理想のあり方を、前作より分かりやすく描いているのかなと思う。
子どもの芯になれればそれでいい、ということ。
父親というのは子どもにとっては身内であっても他人に近い存在だという認識が前提にある気がする。
だからやけに、育ての親を大切に描くよな。
あー、そうそう、本当のお父さんが、愛情ある人でほっとしたー。再会のシーンはご多聞に漏れず嗚咽しました。
どちらかといえばお父さんのほうに感情移入する。
きゅうたくんの中には、お父さんよりも先に、心に問いかけたら答えを返してくれるお母さんがずっと(最後まで)いたのが印象的だった。
お母さんのことは、男の子は越えずにずっと心の支えにするよーということかしら。
監督の理想が詰まった女の子が、彼の奥様をモデルにしているということの健全よ。
とても素敵だぜ。
今回の夫人キャラ楓ちゃんも、しなやかでたくましく機知に富んだ、賢い女性であった。
人は身体を動かし、同じくらい楽しんで勉強しなければならない。わたしもああいった、勇敢で優しい女性になりたいです。
示唆に富んだとてもいい映画でした。
大人から子どもまで、それぞれの立場で楽しめると思います。
つい教訓を見出そうとしてしまうのは、わしの身体が以前より大人になったからなのか…。