ブログ更新五十日目

一日一更新、五十日目。

五十日って結構だな。思えば、長いようで短い日々であった。文章を書くのは元来好きな方だが(そうでなければ小説など書いたりしないですよね)、果たしてこれを更新することで多少なりともスキルアップに繋がっているのだろうか?最初のうちに比べて文章が上手くなったかというと、あまりそんな感じはしない。五十日など成長を感じるに足る日数ではないということだろうか。継続は力というし、今後も続けていきたい。

これが百日、千日と続いた日には、やはり相当上手くなっているのだろうか。そう思うと期待に胸が膨らむが、まあ、あまり高望みはすまい。なんせ、あの文豪ハルキ村上氏ですら「自分が書きたいとイメージしたものを文章で過不足なく表現できるようになってきた」と、三十年以上にもわたる文筆活動の末、ようやく近年になってそう仰っているのであるからして。

数日にわたり連続でせこせこと短い駄文を拵えたところで、身に着く技術などたかしれである。「たかしれ」というのは「たかが知れている」の略である。

まあわたし如きものが日常のよしなしごとを心うつりゆくままにダラダラ書き綴った辺境ブログと、世界的文豪の到達した高みとではスッポンと月ほどの違いがあるし、そこまで凄いものを目指して書いているわけでもないので(もし目指しているなら、こんなところでダラダラ日記を書いている場合ではなく何かの賞でも目指して短編小説の一つも拵えるべきであろう)、ちょっとはうまくなったらいいなーと涎を垂らしながら思いつくままキーボードを打っているという、まあざっとそういうわけである。どういうわけなのだ。

しかし読みにくいわねえ、この文。

わたしは最近ではインターネット文字書きマンを名乗るのも躊躇われるほど末端に生きる寡作型文字書きであるが、それでも一応、一種の心がけのようなものがあって、それは「できるだけ読みやすい、リズムのある文章が書きたい」といったものである。

だらだらと思いつくまま書き綴りつつも、一応は句読点を打つタイミング、一文の流れなどぼんやり意識して書いている。などと言うと少し恥ずかしいですね。なんせ世の中にはプロ級のアマチュア文字書きが溢れており、わたしのエックスの相互フォロワーにも幾人かそういう、銀河ギリギリのぶっちぎり強え奴がおられる訳であるから、その超戦士たちに「お。きくらげは今日もブログ更新頑張ってんなあ。オラも負けてらんねえぞ」とばかりに全力を出されてしまうと、わたしなどは汚え花火になるしかないのである。いや別に何も戦ったりはしてませんが。天下一武道会、いつも楽しみに拝見しております。

卑屈なことを言うのはこれくらいにして、超サイヤ人ならずとも一応はそれなりに読みやすい文章を書こうと努力しているのである。五十日間ブログを書いて、上手くなったかは分からないが一応、どなたかが飽きずに読んでくださるくらいに読みやすい文が書けていたら嬉しい。