一日一更新、二十六日目。

昔はスポーツ観戦にあまり興味がなかったのだが、今信じられないくらいずっとオリンピックが面白い。もちろん合間にフジロックの中継も観ていて忙しい。

以前の日記にも書いたように、わたしは自身の運動音痴のおかげでスポーツに縁のないオタク人生を送ってきたから、スポーツを観る文化も同様になかった。しかし旦那は(自分ではやらないものの)スポーツ観戦がすごく好きな人なので、一緒に観ているうちになんやかやと楽しさを知るようになった者である。

スポーツマンの人たちは、根本的にわたしとは違う人種であるという感じがずっとしている。もちろん同じ人間なのだけれど、プライベートの発信であるとかチームメイトと和気あいあいやっているところなんかを見ると、なんというか表街道を歩いてきた人たちなんだなあという感じが非常にする。もちろんそうでないスポーツマンの人も大勢いるだろうし、特に、サッカーという人気種目のトップアスリートの人たちは、という前提条件つきではあるものの、「常に注目される」ことをポジティブにとらえ周りを巻き込んでいける、前向きで明るい人が多い印象だ。

幼い頃から変わらない夢を持ち続け、その夢に向かってひたむきな努力を続けている人は眩しい。わたしにはそういう夢や目標みたいなものがない。なりたい自分像というのも「人に優しくなりたい」とかそういう具体性に欠けた漠然としたものでしかなく、歴史に名を残したいみたいな気概を持たずにこれまで生きてきたので、そういう野心野望みたいなものを本気で持っている人を見ると、すげーなーと素直に感心してしまうし、憧れもする。なにかにおいて一流である人たちは、大なり小なりそのような野心野望を抱いている気がする。基本的にどんなジャンルであっても、そういうモチベーションを持っている人の成すことを見るのは面白い。

夢、目標、野心、野望を抱かない(抱けない)人生だって、別に悪いものではないと思う。「夢を持ちましょう」みたいなことを強要されて苦しかった時代もあったが、40年以上何か見つけようとして何も見つけられずに生きてきて、そういう人生が無駄であるとは全然思わないし、何もないからこそ、持っている人たちを尊び、見守ることだってできると思う。

怖いのは、探求心や好奇心がなくなることである。自分が知らない世界を覗いてみることに、できるだけ偏見・抵抗なく前向きでありたいと思う。

なんだか今日は真面目な日記になりましたね。まあ、たまにはそういうこともあるでしょう。