二日一更新、七十九日目。
一昨日、ようやく北海道から帰ってこれました。昨日は一日休んだ引け目を感じながら仕事に行き、今日はお疲れ休みとして一日家にいた。ちょっとコインランドリーに行くくらいで、後は何もせずダラダラゲームをしていた。ようやくこういう日が過ごせた…。
夫は今日「フォアシュピール」というイベントに行っていて不在である。抽選に落ちて出展ではなく一般参加となったのだが、北海道から戻れなかったゆえに、ある意味一般参加でちょっとほっとしたところもある。これでもし出展だったら忙しすぎて体調を崩していたかもしれない…。
さて今日は、北海道を出られなかった我々が何をしていたのかを記しておきたいのだが、主に札幌市内をぶらぶらしていた。この機会だからもう少し北海道内を旅したい気持ちもあったのだが、なにせ長い旅程(結局一週間の旅行になった。ヨーロッパにでも行ったのかよ)になってしまったし、本来帰る予定だった日の前日にイベントで売れ残った在庫と一緒にスーツケースを郵送してしまっており、手持ちの服がまったくない。その上夫の頭痛も重なり、無理はしないでおこうということで、札幌の街中で普通にショッピングなどしていた。
普通にショッピング、などと言ったが、なにせ着替えがない状況である。服を買えなければ数日着倒した服を着続けるしかないが、どうせ買うなら今後も使える服にしたいという、切羽詰まったショッピングである。服選びの必死さが違う。その甲斐あって、満足のいく買い物ができた。たまにはいいかもしれない、買わなければ臭いままゲーム。(ハッピーマニアでカヨコと福ちゃんがやってた「買わなければダサいままゲーム」のリスペクト)
ショッピング以外では、映画も観た。旅先で映画というのもなかなかオツである。どこで観ても同じといえば同じなのだが、タイトルを見かけるたびに「この映画、旅先で観たんだよな」という思い出が付属するというのはなかなか悪くないものだ。というわけで今回は『マイケル』を観た。夫婦ともに興味はあったが忙しくてなかなかタイミングが合わず観に行けていなかったので、ちょうどよかった。そして『マイケル』を観たら、もちろん「ポゥ!」となって映画館を出てきた。
マイケル・ジャクソンは同じ時代を生きた人という実感があり、彼の光と影の部分(どこまでが本当でどこまでがただのゴシップなのか不明だった部分は多いものの)もそれなりに事前知識として入っているため、映画の中で描かれる物語に自分なりの彼に対する思いも加わり、様々な感情を抱くことになった。
ストーリーとしては勧善懲悪に近く、暴君の父に振り回され苦悩し続けるマイケルが、やがて父からの自立を果たす物語である。
天才児であったマイケルは、父のプロデュースを受けながらやがてスターとなり、なんとか独り立ちしようと足掻くものの父からはなかなか離れられず、それでも歌とダンスの才能と叡智を武器に、音楽業界をのし上がっていく。彼は他者に対し常に優しく公平であり、どんなに苦しい時にも奉仕の精神を失わない。だが彼はその優しさゆえにまるで亡霊のように付きまとう父親を振り切ることができず、また幼くして大人の世界に放り込まれ、両親からの愛情を充分に受け取ることができなかったために、どこか大人になりきれない子どものような部分を残したまま、歪な運命に翻弄され続ける。
この映画におけるマイケルジャクソンという人は、まるでモーツァルトのようである。彼らはあまりに圧倒的な音楽の才能を持ちすぎるがゆえに、苦しみから逃れることができないのだ。もちろん映画的脚色があるだろうが、天才というのはどの時代でも生きるのが難儀になりがちなのかもしれないですね。
歌とダンスに関してはとにかく文句なく恰好良くて、観ながら身体が動いてしまいそうになる。作中使われるのはあまりに有名な楽曲ばかりだが、特に『スリラー』がかかる瞬間は、「くるぞくるぞ感」が楽しすぎてついニヤニヤしてしまった。『ビート・イット』のダンスで、なにか足りない…と言った後にジャケットを纏ってバッと脱ぎながら肩を出す決めポーズを考案する場面など、恰好良すぎてゾクゾクしてしまった。あんな圧倒的スターが目の前で歌って踊っていたならば、そりゃもう女の子たちは次々と失神してしまうだろうなと思う。
旅行記というより映画の感想日記になってしまった。とにかく北海道からなんとか帰ってこれてよかったです。
昨日は、やっと出勤できた仕事を終えた後、我々と同じタイミングで青ヶ島と八丈島へ旅行に行っていた友達が帰ってきたため、お互いの旅の報告などしながら肉を焼いて食べた。旅の話題は尽きず、また旅疲れからくるハイテンションも相まって非常に楽しかった。
でもここ数日は、いくらなんでも飲みすぎ・食べすぎたな…。明らかに胃袋が大きくなってしまっている。
少しずつ元の生活に馴らしていきたい。





